くるり 第三話

生見の主人公は、24才で自分をさがしている。痛い人間の領域にさしかかっている年ごろであっても、記憶喪失なので許される。実物の生見は22才でアメリカの首都をフランスと答えるような痛い人間だが、台詞をおぼえられるし他の人格になれる能力がある。つま…

花咲舞 第二話

安定して面白いが、今回は敵が小悪なので相棒か船越ドラマのようだった。毎回完結なら、ラストで犯人をビルの崖っぷちに追いつめて自白させてもいいくらいだ。 このコンビはいい。今田は心の強さとあどけなさが両立している。 下積みが長いから、今田は初期…

くるり 第二話

第二話では胸焼けしていた親切仕様のナレーションも消えて、ふつうのドラマになっていた。そうなるとこれは24才女性の自分さがしの話だとわかった。記憶喪失設定をのぞけば何ということもない語り口だが、生見の演技で感じよく観ることができる。ともさかり…

花咲舞がおもしろい

楽しみにしていたかいあって、期待を裏切らない出来だ。悪女の田中麻里鈴はゼロスタートの出世双六だったが、こちらは最初から猪突猛進で銀行内を水戸黄門のように暴れ回っている。前作は観ていないが、なにしろ今田美桜の眼力だから誰も文句をいえない。山…

くるり 366日

冬ドラマは大奥、Eye Love You は脱落で、マエストロは最終回の展開に呆れてリタイアしてひとつも完走できなかった。日本の脚本家はみな頭がおかしくなったのか、こちらがおかしいのかよくわからない。 それでもこりずに春ドラマのくるりを観てみた。 主演の…

荷風マイナス・ゼロ (80)

1809年 亜欧堂田善画 浅草 昭和19年(1944) 4月1日、阿部ゆきから鶏卵を贈られる。郵便切手5銭のところ7銭、葉書3銭となる。 4月2日、今年の春は風寒く花もなお開かず鶯も庭に来てさえずったことが一度もない。去年までは三月なかばごろから四月に至ると鶯は…

荷風マイナス・ゼロ (79)

浅草オペラ館演目 (東京都立博物館) 昭和19年(1944) 1月1日、曇って暗く正月元日は秋の夕暮れのようだ。小鳥も鳴かず犬の声もせず門巷は寂寥として昼もまた夜のごとし。 ・・このニ三年食物の事で忘れがたい人々の名を左に記す。 一 凌霜草廬主人(相磯)…

荷風マイナス・ゼロ (78)

阿部雪と行徳橋にて 1952年(昭和27) 昭和18年(1943) 10月3日、ガス風呂許可の届け書きを出せと言われ風雨のあと空が晴れたのをさいわいに赤坂新町のガス会社出張所におもむく。・・妓家はいよいよ多くなったようで稽古三味線の音がしきりに聞こえ、浴衣に…

荷風マイナス・ゼロ (77)

大東亜会議 右端はチャンドラ・ボース 東條の左は汪兆銘(1943年11月) 昭和18年(1943) 7月5日、冗談剰語 一 東京市を東京都と改称するという。何のためだろう。その意味を理解しがたい。京都の東とか西とかいうように聞こえて滑稽である。 一 日本人は忠孝…

荷風マイナス・ゼロ (76)

www.youtube.com 荷風が4月17日に観たモスコウの一夜は、チューブにupされている。第一次世界大戦中のロシアが舞台で、フランス映画だから台詞もフランス語なので荷風の興味を引いたのだった。 巴里祭(1933)のアナベラ演じる令嬢とロシア軍中尉の恋が物語の…

荷風マイナス・ゼロ (75)

累 竹原春泉画 昭和18年(1943) 4月2日、オペラ館踊り子に導かれて区役所前リスボンという洋食屋に入って食事する。一皿米飯付き1円である。客はたいてい公園の芸人だけである。 4月6日、浅草公園に行く。三四日前から米国飛行機襲来のおそれがあるといって街…

荷風マイナス・ゼロ (74)

ガダルカナル島 ニューギニアの東隣にニューブリテン島があり、1942年1月に日本軍は英濠軍を破り占領した。ラバウルに要塞が造られ敗戦まで存続した。水木しげるはラバウルに送りこまれ、かろうじて生き残っている。 そこから1000km南東にガダルカナル島があ…

荷風マイナス・ゼロ (73)

太平洋戦争での日本の最大範囲 都市空襲を阻止するための6月ミッドウェー攻略失敗が、戦争の転換点となった。しかしまだ連合軍には空爆を続ける力はなかった。次にソロモン諸島ガダルカナル島の攻防が焦点となり長期戦が翌年2月まで戦われた。 昭和17年(1942)…

荷風マイナス・ゼロ (72)

妖絃怪猫伝(1938) 昭和17年(1942) 7月15日、町会の役員が来て防空用古樽金7円、むしろ一枚4円づつを取りに来る。 高価驚くべし。 7月16日、この日税務署の通知を見ると本年はまた去年よりも多く一回分623円40銭、一年分で金2490円60銭となる。わたしの実収の…

荷風マイナス・ゼロ (71)

1941年暮れから1942年5月までの東部戦線。ドイツ軍は進撃から一転して後退を重ねたが、まだ夏に反攻する力は残っていた。 昭和17年(1942) 4月7日、魚類品切れとなり今明日銀座通辺の日本料理屋は休業の貼り札を出した。 4月11日、近ごろの茶の湯の流行は日本…

荷風マイナス・ゼロ (70)

シンガポール陥落時スィク教徒捕虜を銃殺。 昭和17年(1942) 1月1日、旧暦の暦を売ることを禁じられたので本年からわれわれは太陰暦の晦朔四季の節を知ることが出来なくなった。昨夜は月がやや丸かったのを見たので今日は十一月でなければ十二月の十三四日に…

能年の新MV 夢が傷むから

能年が監督編集した、一週間前に発表されたMVがいい出来だ。映像作りの技術をすっかり身につけたようだ。 能年と加藤千尋のカップルを死神が見守る、わけではなくて能年が表紙をつとめた又吉エッセイのアンサーソングになっている。能年はさかなのこのように…

荷風マイナス・ゼロ (69)

昭和16年(1941) 10月2日、風呂桶屋来る。新しい風呂桶は130円であるという。 10月3日、銀座教文館で倉払いの古本を陳列即売すると聞いたので午後行ってみる。買うべきものなし。電車で浅草に行く。観音堂の横手銀杏の樹の下に露店商人が馬鈴薯を見事に細く切…

荷風マイナス・ゼロ (68)

独ソ戦の推移(7月から12月) 昭和16年(1941) 7月2日、午後大塚という怪しげな女が電話をかけてくる。今年正月五六日ころだったと思う。かねてから知っている派出婦なにがしの紹介で夜九時ころはじめて訪ねてきた女である。自分で語るところによればひと月10…

あちこちノウルーズ

www.youtube.com イラン東部ケルマーン市のガンジャリ・ハーン建物群。サファヴィー朝のもので、エスファハーンのナクシュ・ジャハーンに似ている。内部はバーザール、ハマム、キャラヴァン・サライ、マドラサ、モスクを含む。 www.youtube.com イラン北部の…

テヘラン ノウルーズ

www.youtube.com 今年もノウルーズがやってきた。 グランドバーザールに隣接したハフト・タン通りのにぎわい。人出がすごい。 www.youtube.com ゴレスターン宮殿近くの Parvaneh 金曜マーケット。 www.youtube.com ショッピングモールでのハージー・フィール…

荷風マイナス・ゼロ (67)

独ソ開戦まえの欧州 昭和16年(1941) 4月4日、新橋橋上のビラにもう一押しだ我慢しろ南進だ南進だとあった。車夫の喧嘩のようだ。日本語の下賤を今は矯正する道がない。 4月9日、終日パーレーの万国史を読む。(実際の作者はナサニエル・ホーソーン)この書は…

荷風マイナス・ゼロ (66)

何て読む? 昭和16年(1941) 1月1日、「風なく晴れてあたたかなり。炭もガスも乏しければ湯婆子を抱き寝床の中に一日をおくりぬ。昼は昨夜金兵衛の主人より貰いうけたる餅を焼き夕は麺麭と林檎とに飢えをしのぐ。思えば四畳半の女中部屋に自炊のくらしをなし…

荷風マイナス・ゼロ (65)

www.youtube.com 清水港代参夢道中 (1940 日活 マキノ正博監督) 映画嫌いだった荷風は葛飾情話の上演を機に、あたらしい分野に関心をもちはじめる。浅草交響曲の映画化は実現しなかったが、のちになっても音楽映画左手の曲を構想している。 1940年当時どんな…

荷風マイナス・ゼロ (64)

弥次喜多道中記 (1938 日活 マキノ正博監督) 昭和15年(1940) 11月1日、正午ちかく久保藤子という女が訪ねてくる。先月中蛎殻町にある怪しい周旋屋野口というものの一室で知り合いになったのである。その語るところを聞くと年は三十で三つになる娘がいる。三…

荷風マイナス・ゼロ (63)

仲よし三国 昭和15年(1940) 9月3日、寺島町の知った家を訪ねて帰る。この里も昨日から昼遊びの客を入れない。市中のカフェーと同じく夕五時から窓を明け泊り客は朝八時かぎり追い返すことになったという。広小路の屋台店もこの夜は数えるばかりに少なくなっ…

荷風マイナス・ゼロ (62)

ドイツ軍進路gif 昭和15年(1940) 5月1日、院長がわたしの自炊生活に過労のおそれがあるといってしきりに入院静養の必要を説く。浅草に行こうと思ったが院長の忠言を思い起こし銀座を過ぎてかえる。わたしが下女を雇わず単独自炊の生活を営み始めたのは一昨々…

荷風マイナス・ゼロ (61)

昭和15年(1940) 1月6日、去年十一月の末から今日までほとんど雨がない。新聞の記事を見ると水道水切れのおそれがあるという。木炭米穀の不足についで飲料水の欠乏をみる。天罰恐るべしである。・・牛肉ヒレ本年から一人前につき15銭値上がりしたという。 ・…

荷風マイナス・ゼロ (60)

1939年11月、仏蘭西の塹壕でくつろぐ英仏兵士。宣戦布告したものの戦闘しなかったので、この時期 Drôle de guerre 奇妙な戦争と呼ばれた。 昭和14年(1939) 10月4日、「庭の高樹に始めて百舌の声をきく。例年なれば晩秋の旦百舌の声をきくは勇ましく快きもの…

荷風マイナス・ゼロ (58)

南北にハルハ川、下の横線がホルステン川。何もない土地だ。ハルハ東岸の日本軍第23師団は、ホルステン南岸から縦に30kmにわたって高地に拠った陣地を築いて展開していた。 昭和14年(1939) 8月3日、「午後谷中氏浅草より電話にて、この頃警察署にて余および…