パミール高原をはさみ向かい合うかつてのソグド人の地とウイグルがひとつの支配権力下にあったのは、モンゴルのチャガタイ汗国のころまでだった。14世紀に東西に分かれて別の道をたどったが、テュルク語、イスラーム、東ユーラシアと西ユーラシアの融合した外見、文化など共通している。
トゥーラーン、ソグディアナ、康国、イスラーム時代になってマーワラーアンナフル、現代のウズベキスターンおよびタジキスターンなど呼ばれ方や住民、言語、宗教はさまざま変わり、国は分かれてもオアシス都市国家群という同質性と交易は連続していた。この交通の自在さが中央ユーラシアだといえる。
したがって現在のウズベクの都市、ブハラ、サマルカンド、フェルガーナの踊りも、衣装や所作でウイグルに似ている。ここでもマカームが用いられているが、各都市によって音楽や踊りに変化がある。
ただウイグルにくらべ旋回が主な見せ所というわけではなく軟舞であり、たおやかな踊りだ。
激しい旋回舞ということでは、パシュトゥーンのカッタク記事で紹介したアフガーニスターンのハッタクKhattak のほうが胡旋舞の名にふさわしい。
またマーワラーアンナフル西の砂漠を越えたホラズム州の踊りラズギLazgi は早調子の健舞だ。同じく背景のヒヴァの街並みがすてきなラズギ。
1959年に撮影されたパミールの踊りが「偉大なムガル」の pyar kiya to darna kya の雰囲気に非常に近い。むしろ映画がこのクリップを参考にしたのではないかと思われるくらいだ。パミールとあるがウイグル自治区、アフガーニスターン、タジキスターンにまたがるパミール高原のどこを指すのかはわからない。
踊り手はガリヤー・イズマイロワГалия Измайлова でソ連時代の人民芸術家であり、インドをふくめ世界中を巡演した著名なタタール人ダンサーだ。タタールはロシアでのテュルク・ムスリムの呼称。
ムガルの踊りなどだれも見たことはないのだし、カッタクやムジュラーとも違っていただろう。再建にあたってガリヤーの公演など手本ににされたかもしれない。
ガリヤーによるウズベキスターンの踊り
雲南孔雀舞のような所作を一瞬見せる。
タタール人ダンサーといえば、フィギュアのアリーナ・ザギトワがロシア・ウドムルト共和国タタールだ。両親はタタールスターン出身。タタール名はザヒトワで、زاهد ザーヒドは禁欲者を意味するスーフィー指導者のことだ。あの両手タノ・ジャンプは胡旋か。
トリプル・アクセルのトクタミシェワもウドムルトの人で、こちらはジョチ・ウルスのトクタミシュ・ハーンと縁がありそうだ。
ウズベク・ダンス文化協会が昔 Dance Camp to Explore Uzbek-Indian Connections という催しをひらいたことがある。バーブルゆかりのウズベキスターンとムガルのカッタクのつながりを主張していた。
そういわれると講師のひとり、人民芸術家 Qizlarhon Dustmuhamedova の踊りはなんとなくムガルっぽく思えてくる。