惠英紅

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1960年生。祖先は満族上三旗の貴族で山東に惠家荘を領していた。文革時に家族で香港に逃げ、子供のころは物乞いや街頭のチューインガム売りをした。家計の助けに兄とともに京劇団に入り、舞踏武術を習った。14才のとき、ナイトクラブでの中国舞踊表演が監督張徹の目に止まり邵氏電影入りした。

 

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射雕英雄傳 (1977)
金庸作品を張徹が映画化し、惠英紅は穆念慈を演じた。男しか使わない張徹が唯一、義理の娘(香港電影独特の契約関係)として遇してくれた。

 

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金玉良緣紅楼夢 (1977)
紅楼夢」を李翰祥が監督した作品で、林青霞が男装して演じた賈宝玉の侍女麝月だった。
機会を与えてくれた張徹、きびしく演技を指導してくれた李翰祥、才能を見出し映画製作の何たるかを教えてくれた劉家良の三人が電影人生の恩人だと語っている。

 

爛頭何 (1979)
劉家輝があやつって妓女を武術の達人に仕立てる。二人羽織みたいなむずかしい振付をこなした。端役出演の予定だったが、妓女役が「無理!」と降板して代役に立った。出来栄えは劉家良を驚かせ、以後の二人三脚が始まった。

 

洪文定三破白蓮教 (1980)
劉家輝主演、羅烈が監督し白蓮教主も演じた。惠英紅は剛強な教主の打倒策として柔の繍華拳を教え、劉家輝に女性の挙措を学ばせる。楊菁菁も出演。動作設計は劉家良だった。

 

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長輩 (1981)
この女性中心で「モダンな」劉家良功夫片で、惠英紅は第一回香港電影金像獎の主演女優賞を獲得した。家系では長輩であり腕も立つ惠英紅に、みな頭が上がらない。留学帰りの後輩がいたずらで洋装させる。

 

武館 (1981)
長輩との剪集。相方たちの技術もすばらしい。これも導演は劉家良で劉家輝は黃飛鴻だった。学んだのは上段蹴りが華やかな北派功夫だったが、劉家班の南派にもすぐ適応できた。ただ、劉家良の振付はワンカットで30以上の動きがあり息継ぎの余地がなかった。成家班や洪家班なら息ができたという。

 

掌門人 (1983)
香港の廃れた武館にアメリカから本家の娘、掌門人がやってきたことで起きる喜劇。劉家良初の現代功夫片だが、この映画の現代性はかなり痛い。「五福星」が同年だった。

 

新飛孤外傳 (1984)
金庸作「雪山飛孤」の映画化。京劇上がりだから武器のあつかいに長けている。甄子丹の母親である麥寶嬋に学んだ。

 

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五郎八卦棍 (1984)
邵氏電影最後の出演作品。蹴りの伸びがすばらしい。相手は元徳
豪華な製作の時代劇を量産した同社だったが、作風は京劇の影を引きずっていた。そこへ李小龍が本物の功夫をもちこみ、それからボロ小屋と野原と無名の武師たちだけで成立する作品が映画界、ことに輸出市場を席巻した。さらに成龍や新藝城の新しい波が生まれ、邵氏は翌年に廃業する。
製作中に主演の傅聲が交通事故死する不幸が重なり、惠英紅が代役となった。邵氏最後の古装片でもあり、忘れられない作品だという。

 

霸王花 (1988)
邵氏では温室の花だったが、退所したら虎狼の世界だったという。次の方向を模索し警花片に活路を見出した。同名の系列に5作出演している。高身長、高学歴、高顔値の胡慧中がボス役だった。

 

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八宝奇兵 (1989)
スタントは本人がやっている。香港映画は手加減なしだから、体格のよい男たちに腹を殴られ吐くことも普通だった。かわりに相手の股間に蹴りが直撃し悶絶させることもあった。
この年には打開をはかってヌード写真集を出し、それがもとで男友と別れた。

役が付かない日々が続いたが90年代になってTVに転身し、しだいに運気があがってきた。鬱になり自殺を図った困難な時期もあった。
2001年「幽靈人間」での香港金像獎提名が演技派としての転機となった。

 

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武俠 (2011)
ひさしぶりの功夫片。主人公の義母にあたる反派の造型は鬼気迫るものがある。
谷垣健治が動作設計に加わっていた。

 

血觀音 (2017)
悪女対悪女。「上海灘」を歌いながら圧をかける。台湾映画。この作品や、心魔 (2010)、殭屍 (2013)、幸運是我 (2016)で受賞を重ね演技者としての評価を確立した。2010年代は大陸の電視にも出演している。

 

Mrs K (2017)
撮影中膝を壊し肘を骨折し、動作片からの引退を声明した。これまで100ケ所以上を負傷してきたという。

 

翠絲 (2018)
夫には事情があった。

 

剪接集
Kara Hui Ultamate Tribute
Kara Hui Action Reel
'My Young Auntie' - A Kara Hui Tribute

 

章子怡が惠英紅を「崇拝している。自分にとっての神だ。」と告白。武打と演技を両立させた先駆者だろう。

 

采訪1
湾仔育ちで社交的、いたずら好きの街頭小子だったので邵氏でも自由に人交じりし監督や明星たちに好かれた。男孩紅と呼ばれていた。
京劇時代は粉菊花の門下だったが元家班の元徳とは古いなじみで、「あまりに知りすぎているので分析できない」。
武術の練習はしないが水泳、ヨガ、ジム・ワークで6パックを保っている。
Part1-7まで連続している。

采訪2
独立後は、安全面が劣悪で激しい動きを要求する現場で体を傷め後遺症が残った。
成家班の「扭計雜牌軍 」(1986)では5階から飛び降り、マットがなくて足を骨折した。治療後、現場では手を使って闘った。ふだんは替身なしだが、この作品では使用した。

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Kara Hui、Kara Waiなどと表示されるが北京語でフイ・インホン、広東語ではワイ・インフンになる。カラの由来は不明。かつてはクララとかベティなどの植民地名で呼ばれた。

 

おまけ
アホなfake。ソーは徐錦江。

 

香港影庫 惠英紅