サフランボルの Yeşilli

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オスマンの踊り子で紹介したサフランボルの Yeşilli 緑が自分のyoutubeチャンネルを作っていた。つまりユーチューバーだった。おまけにInstagram(非公開)まで開設している。アカウント名は Yeşilli kiz 緑の娘だ。


緑の娘は一連の結婚式動画の焦点人物で、世界中のパボな男たちをパーガルな求愛者にしてしまった。コメント欄はすごいことになっていて、いちばん視聴数の多いものは700万回に達している。

 

サフランボルSafranbolu は名のとおりかつてはサフランの集積地だったがいまは廃れ、かわりにオスマンリー時代の市街地が世界遺産に登録されている。とはいえそれほど繁盛した観光地ではないようで、県庁所在地である隣の市 Karabük が鉄鋼生産で栄え大学もある。

 

もとは DURSUN SERÇE というサフランボルの人が市街東の丘にある Gümüş(銀、白銀台)と呼ばれるクルド人集落の結婚式をずっと追って、住人たちの踊りあかすさまを撮りつづけていた。踊り手でひときわ目立つのが Yeşilli ミドリで、登場すれば100万を超え不在なら1万台になる。
結婚式動画すべてが全トルコの陽気を集めたような魅力に満ちているが、なかでもミドリは胸が大きく高級な金魚のように優雅にお尻をふって踊るので遠目でもすぐ気がつく。

 

ミドリはピンクも赤も灰も黒も着る衣装もちだが、トルコ緑、ターコイズグリーンのエシャルプ(ヒジャーブ)と上着の映像がもっとも人を引きつけたのでYeşilli緑として有名になった。動画を見ると、ヒジャーブはすぐれたファッション素材であることがわかる。

ダンス動画   ピンク    白黒  

 

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歌手の Gökhan Kandemir

DURSUN SERÇEチャンネルの動画を見ると、Gümüş白銀台の人々は年中祝祭のなかに生きているような気がしてくる。どれだけ踊っても疲れを知らないトルコのシロガネーゼだ。


主人公は女たちで、これだけ若い女性がたくさんいれば結婚式を挙げつづけるのも無理はないと思われる。クルド集落は出生率も高いという。
踊りはクルドやトルコの民俗伝統舞踊とはちがってテュルクの肩踊り、韓国のオッケチュム、沖縄のカチャーシーのような上半身の動きに下半身のフリフリが加わる。トルコのジプシー(Roma, Chegene)の踊りRoman Havasıに似ているが音楽が違い、エレクトリックSaz にのせたクルド語歌謡の調子のよさはクセになる。即興のようで「サフランボル」の名がよく出てくる。
男たちはハラールではないらしく影が薄い。いても発砲したり岩を投げたりケンカするのがいて、男は男だというしかない。

 

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ピンクの Eşarp。髪だけおおうもの、首まであるもので意味合いがちがう。ミドリは着用しなかったりいろいろだ。

 

ミドリのチャンネルによれば本人の名前はSibel、現在19才で結婚している。9月には妊娠6ケ月だと明かしているので、もう臨月近いはずだ。Sibelをいちやく有名にした緑のヒジャーブは3年前の映像だとのことで16才だったことになる。
tubeのYeşilli Kizチャンネルは本数が少なく携帯で画質が悪く、DURSUN SERÇEチャンネルほどの人気ではないが根強いファンのおかげで各本10万台には達している。

 

DURSUN SERÇEチャンネルの動画には「楽しい結婚式」と日本語タイトルのものがある。ワラビスタンにでも縁があるのだろうか。とはいえ日本から立ち寄っている気配はない。
トルコのyoutuberランキングを見ると、1位から50位までの登録視聴の数字は日本とほぼ変わらない。トルコの人口は8000万だがtube視聴者は自国に限定されないのでそういう傾向になるのだろう。トルコの50位は250万人登録で20億人視聴、日本の51位は209万で4億4600万台だ。
DURSUN SERÇEチャンネルは9.1万登録3300万視聴なので、類推すれば日本なら2000番台ではないだろうか。坂口拓、ニコニコ公式、デヴィ夫人がいるあたりになる。その数字はほとんどミドリがかせぎだしたものだ。

 

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Safranbolu:wiki

 

DURSUN SERÇEによれば白銀台のクルドの人々は Şeyhbızınlı族で、トルコ各地に居住している。
DURSUN SERÇEの引用元の記事だとŞeyhbızınlı族はイラークのキルクークにいたが、セリーム1世がバグダードを攻めたとき気に入られアナトリアに招かれたという。そして19世紀末までに半島南東部から拡散していったとされる。


Şeyhbızınlı族の言語はソラニー方言に近く、現在のトルコ・クルドの多数派であるクルマンジー方言と意思疎通はむずかしいらしい。ウイグル語とトルコ語は半分通じるといわれるが、クルド語各方言は英語とドイツ語くらいの違いがあるとの説がある。Şeyhbızın:wiki によれば Lulca との近縁もいわれる。

 

サフランボルクルドについてのネット記事はあまり見当たらないのだが、1998年のニユーヨークタイムズで20年前の様子がわずかにうかがえる。当時は2万人の街(現在4万7000人)に700人のクルドが失業と貧困の日々を送っていた。家は傾き衣服は汚れ人の表情は暗く水道も通っていなかったという。
地域のリーダーは「われわれはトルコ人だが二級の存在だ。人々はわれわれを好かないし信用しない。だから雇われることもない。子供は学校にいけないし、本も衣服も買えない。」「たまにクルド急進派がやってきて組織しようとするが追い出す。さもないと半年で住民みなミリタントになってしまう。」と語っていた。まだクルド語が禁じられていたころの話だ。

 

それから20年たったいま、映像では目をおおうほどの貧困は感じられない。人の活力があらゆる不足を吹き飛ばしている感じだ。近年は公共住宅建設の計画も立てられた。サフランボルの現在の女性市長社会民主主義者だという。しかし失業率は高く、水道はまだ通じていないらしい。

Karabük県にはGümüş白銀台の近辺に Cumayanı、Yeşilova、İsmetpaşa などのクルド集落が散在している。YeşilliのチャンネルにCumayanıの結婚式で踊っている動画もあるので、姻戚関係などあるのだろう。

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Karabük県:wiki