宝の小箱 (5)

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伊豆の踊り子号はコロナ禍でほぼ運休している。「伊豆の踊り子」は作者の実体験にもとづいているが、それはスペイン風邪が流行のさなかだった。いまなら旅人は石を投げられるかもしれない。

 

インドの踊り子は語呂合わせだが、小説のほうは少女が裸で風呂場から手をふる話だと思って読んだことがなかった。映画の先入観で偏見をもってしまったのだが、実際は名文、名作だった。川端先生ごめんなさい。

 

映画はアイドルをヒロインにしているので、無理が生じている。現実に場面を考えてみれば「子供なんだ」などと不自然な感慨にひたるはずがないし、製作も観客もエロティックな効果を期待している。しかし小説の光景は相手に性徴がなかったことを示している。天使や少年のように中性的な存在だ。

 

まったく別の世界に生きるもの同士が、旅をきっかけにたがいを「よい人」として認識する。しかしその関係はなにかを結果することはない。それによって、実世界ではまずありえない心地よい感傷が生まれる。

 

インドのタワ-イフが旅する話では「パーキーザー心美しき人Pakeezah」がある。こちらは象が効果的に出てくる。