ギリジャー・カリャーナム

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パドミニ・プリヤダルシニのSampoorna Ramayanは、カーマがシヴァの瞑想のジャマをして怒らせ第三の眼から出た光で焼殺される場面を描いたものだった。パドミニはカーマの妃ラティを演じている。これはヒンドゥー教で人気ある説話らしく、神様映画によく登場する。

話にはあとさきがあって、宇宙を制覇した最強の魔を倒すためにシヴァの子供が必要だがあいにく瞑想中でパールヴァティに見向きもしない。それでカーマが愛の矢を放って目覚めさせ、めでたく軍神スカンダ(ムルガン、韋駄天)が誕生するにいたりカーマの復活も約束されることになる。この一段をギリジャー・カリャーナム(パールヴァティの結婚)と呼ぶ。

これをテルグ映画 Rahasyam (1967)の劇中劇として演じたものがGirija kalyanamだ。あいにく画質が悪く12に分かれているが、インド・ミュージカルでも最良のシーンのうちに数えられるものだと思う。
この村芝居はカルナータカが本場のヤクシャガーナのテルグ流であるYakshaganamだとされている。第一場は異様にノリのいい異相のリーダーを先頭にした男のグループが歌語りを始める。第二場はB.サロージャー・デーヴィB.Saroja Deviのパールヴァティとアンアンと悩ましい声を出すカーマ、怒りのシヴァのドラマとなり、最後にまた男衆の歌で締められる。第二場の踊りは平凡だが、それがまた村芝居の雰囲気を感じさせる。

この劇のどこがよいのか説明するのはむずかしいが、中毒性のある音楽と歌唱の力に加え自分の記憶の中からなにかよみがえってくるものがある。この理由として、1.前世がインド人だった、2.現世のどこかで聞いたことのあるものと通底している、ことが考えられる。むずがゆい郷愁のようなものはどこからくるのか。

本物感が強いのは、音楽と歌がテルグ映画界の名だたる作曲家であり歌手のガンタサーラGhantasara(wiki)の手によるものだからだ。このGirija kalyanamは代表作と見なされている。
また顔圧の強いリーダーを演じているのはRahasyamの監督でもあるVedantam Raghavaiah(wiki)だが、自らがクーチプーディ村出身のダンサーであり、この一幕の振付もおこなっている。クーチプーディも元は舞踊劇で、それと結合してヤクシャガーナムの精髄が再現されているのだろう。

カルナータカのヤクシャガーナはカタカリに似た扮装をするが、もっと様式から自由な歌と語りと踊りの即興劇だとされる。テルグ圏のものはさらに素朴な感じがする。

Girija kalyanamの画質が悪いのはDVD発売元が「フィルムがもうない」との理由で2/3の短縮版しか出しておらず、歌がごっそり削られているかららしい。投稿者は手持ちのテープをどうにかMP3にしたのだという。

音声だけのGirija kalyanam。

(追記:今年刊行された 森尻純夫の労作 「歌舞劇ヤクシャガーナ」によれば、カルナータカのヤクシャガーナはふつうアタAta=芝居とのみ呼ばれ、ヤクシャガーナという呼称は近代になってからのものだという。また北カルナータカのヤクシャガーナの成立にはクーチプーディが影響を与え、創始者はア-ンドラ・プラデーシュから来たとの伝承が紹介されている。これからすると、ヤクシャガーナムが本場で、ヤクシャガーナはそのカルナータカ流との言いかたもありうるかもしれない。)