プージャプラ

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左からパドミニ、ラリタ、ラーギニ

 

パドミニやトラヴァンコール(マラヤーラム語ではティルヴィターンクール)姉妹をゆかしく思い、ゆかりの地プージャプラもずっと気にかかっていた。10年前にこんなことを書いている。

「パドミニの故郷を訪ねてみた。
グーグル・マップの白い手で、地球の皮を引き寄せるとインド上空だ。
降りれば、常春の国マリネラ、ではなくて椰子の国ケーララが、緑豊かに横たわっている。

ケーララの州都、ティルヴァナンタプラム Thiruvananthapuram (旧・トリヴァンドラム)の東の郊外、プージャプラ Poojappura でパドミニは生まれたとされる。

プージャプラは、鉄道のセントラルのほぼ真東に位置している。
駅の南口は、それなりに繁華で建物も多いが、東に走る線路を追うと、しだいに緑が濃くなる。
日本の私鉄なら一駅くらいのところで線路は南東に曲がるが、その北側
あたりがプージャプラだ。

ここらは緑が非常に濃く、しかし人家もまた多い。
森の中に家が点在しているみたいで、日本の風景から類推することができない。
地上に近づくと、さらにその感が増した。
樹木の間に家が埋もれている。

多摩丘陵あたりも木々は豊かだが、林と住宅地は截然と分かれている。
山林と田畑と町村は、日本ではそれぞれ別の区画だ。

詳細を知りたくなったが、あいにくケーララにはストリートビューがない。
それで建築のサイトを訪ねると、100万都市ティルヴァナンタプラムってこんなところだった。 

 

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Photo credits : Sudheesh Nair

 

これほど緑の多い都が、この世にあるのだろうか。
ガンディーが ever green city と讃えたのも、無理ない。
さすが常夏のココナツの国だけあって、椰子が多い。

この町の Mahila Mandiram school と Sea Shore Convent で、パドミニは学んだのだが、あいにくどちらも、もう存在していないようで見つけられなかった。
1932年生まれの人なのだから、しかたない。時の推移があったのだろう。

パドミニはプージャプラ生まれ、父は地主 landlord ということになっている。
見たところ同所は住宅地で、農業地帯ではない。
それともこの緑は、かつて椰子園ででもあったのだろうか。」

 

上述した建築サイトは10年後には画像リンクがなくなってしまった。上の画像はたぶんかなり郊外だろう。

現在の別の写真を挙げておく。

 

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市の東部、 プージャプラの2km手前にある CV Raman Pillairoad の渣打銀行上空から都心を鳥瞰したものだ。市内そのものは開発もモータリゼーションも進み、木々は多いが雑然としていて椰子の都といった感じではない。

パドミニの伝記については2006年のThe Hindu の記事Wiki  以上のものはあまりない。プージャプラは都心ではないが、 the heart of Trivandrum と呼ばれるようにかつては王が供犠(プージャ)をささげていた由緒ある地だ。町の中心を通るプージャプラ・メイン・ロードの真ん中あたりにイギリス式にサークル型のプージャプラ・ジャンクション(交差点)があり、それに面したSaraswathi Mandapam や寺院は祭りなどのとき賑わいを見せる。ティルヴァナンタプラム市の北部 Kollam にプージャプラ寺院があって、行者が体にフックを刺して吊られたりするが、プージャプラ町ではそんなことはない。

 

パドミニの家、マラヤ・コテージは1976年に取り壊されて、2006年の記事ではNABARD(国立農業農村開発銀行)の headquater になっているとあった。現在 NABARD の本部は都心にあるが、旧本部があったのだろう。 googleにはまだ本部としてプージャプラ Pathirapally Lane の旧住所が掲示されているが、マップからは特定できない。 交差点の北側300mほどのところで Pathirapally Lane はさらに300mほど北上する道だ。証言が正しければマラヤ・コテージはそのどこかにあったことになる。またジャンクション南側100mにはNABARDの garden がある。

マラヤ・コテージはマレーシアの材木業で富をなしたパドミニ姉妹の伯母一家が建てたもので、三姉妹の他にもスクマーリSukumari やアンビカAmbika など後に女優となる親族の子たちも育った大家族世帯 joint familyだった。ファミリーの子孫の回想では、マラヤ・コテージは 5-60人がおさまる規模の、市でいちばん大きな邸宅のひとつで、内部はシャンデリアや銀器で飾られていたという。インド映画によく出てくるような金持ちの屋敷だったのだろう。姉妹の中ではパドミニだけが一家の養女になっている。また10代でトラヴァンコール・シスターズとして活動を始めてからは、姉妹はマドラスに転居している。
伯母が芸事好きで子供たちに踊りを習わせたのがすべてのきっかけだったが、親族の男兄弟も後に映画製作者になっている。(以前、コテージで映画製作も行われたと書いたのはまちがい。)

 

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左からラリタ、ラーギニ 、 パドミニ

かつての記事の修正をさらにつづけると、10年前は出身校の Mahila Mandiram school と Sea Shore Convent を見つけられなかったのだが、今になってサーチすると前者はプージャプラ交差点の北側メイン・ロード沿いに存在していた。コンヴェント(ミッションスクール)は市の西にコンヴェント・ロードの名があるが、プージャプラからも海岸からも遠い。クリスチャンの多いケーララだから、コンヴェントはいくらもあったろうし道路名だけでは候補として弱い。また14才からダンスのツアーに参加し、映画界入りしてからはマドラスに住んだので、Seashore Convent とのかかわりはそれほど濃くないと思う。

 

プージャプラをもう少し探ってみる。ジャンクションをはさんで寺の反対側にスネーク・パークがある。さすがインドだが、tube映像を見ると棒でつついたり崇敬というより虐待に近いあつかいを感じる。宗教的なものではなく、蛇慣れするための教習所ではないだろうか。メインロード北側には蛇寺 Nagarukavu  があって、こちらではヴィシュヌの蛇が信者を集めている。
ティルヴァナンタプラムは神話の蛇アナンタにちなんだ聖蛇の街ではあるが、蛇の動物園はムンバイーやインドのあちこちにあるようだ。

Saraswathi Mandapam の隣の公園でのお祭りでは、ムルガンの神輿ナヴァラートリの縁日、灯のイヴェントなどさまざまな催しが通年で行われている。

世俗のニュースとしては、ジャンクション前でバイクにもぐりこんだ蛇を捕まえた事件がTVで流れていた。

 

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プージャプラはトラヴァンコール姉妹以外にも映画関係者に縁がある。モーハンラールやプリトヴィラージの実家がここだ。プリトヴィラージはカラマナヤールKaramanayar 川沿いの St Mary’s residential central school を出ている。モーハンラールの生家もそのあたりだ。Wikiだとプリヤダルシャン監督はこの町で生まれ育ったらしいが、具体的にはよくわからない。

パドミニが住んでいたといってもインド独立前のことで、70年以上たっている。だから相当昔とは変わっていると思うが、目抜き通りから少し外れればそれなりに過去をしのぶことはできそうだ。

市の不動産屋がtubeで物件を宣伝している。

蛇公園北300mほどのSpring Blossom School あたり。Mudavanmugal とあるのはまちがい。モーハンラール生地、プージャプラ東部の Mudavanmugal はこんな感じ。蛇公園南の Kesavan Nair Road。そこと Mudavanmugal にはさまれた Thamalam 。Thamalam の Karamanayar 川沿いに造成された宅地。蛇公園東隣の歯医者 Peal White 近辺。ジャンクションから1.5 kmほど北にメインロードを行ったところにあるVijayamohini 工場あたりは裏手に映画館がある。

最初にこの記事を書いたときは映像にある Cent という単位を地価を示すものと考え、あまりの安さに感動していた。ところが Cent はケーララやタミルナードゥ特有の面積単位で 1/100エーカーを意味するものだった。1エーカーは 4047 平方米で、5セントは22平方米あたりになる。記事を読んで宅地購入に着手された方々におわびしたい。

あたりに生えているのはヤシで、google上空からでもわかるくらいだ。日本のケヤキやツバキのような具合にあちこち所帯の調度のように備わっている。しかし10年前に空から観た、林の中に家がある感じほどではない。開発が進んだということだろうか。売り物になった空き地には、かつてはもっと椰子が茂っていたのだろう。

地上に降り立つと椰子の木陰には芭蕉が寄りそっているのがわかる。Wikiの受け売りだとインドは最大のバナナ生産国で、エデンの園の知恵の木の実はバナナだったとの説があるようだ。

 

街中が実際どんな姿かは、空撮やドライヴ映像がふえて連続したイメージでわかるようになってきた。あいにくプージャプラ・メイン・ロードをとらえたものはないが、少しはずれた道筋から類推はできる。またティルヴァナンタプラムの全体像もおぼろにつかめるようになった。

まず空撮でランドマークを憶えておく。雑多な観光イメージだが中央駅の空撮がある映像。中央駅の北2kmにあり目印にしやすい チャンドラセーカラン・ナーイル競技場(通称ポリス競技場)Chandrasekharan Nair Stadium が見える。先の引用文でかかげた画像でもオレンジ色のスタンドが遠望できる。
競技場の空撮。南にマスジッド、東にキリスト教会、北に州議会とケーララ大学運動場をとらえている。ロゴの GiONEE は中国のスマホ会社だ。
さらに中央駅北口のビルから南、西、北とカメラを回して見た眺めHotel Teekay palace と Deshabhimani pubrications のある Manorama road あたりになる。南の駅前側のほうが緑が多い。ティルヴァナンタムラムは海岸から30mほどの高台にあり、北に向かって標高が高くなっていく。

飛行機の離陸映像で線路南側地区や北西のテクノパークの様子がわかる。反対側は海だ。

バイク映像で地上の様子を探ると、駅南口の Kalady から線路を渡りプージャプラ南をかすめて Karamana川沿いに東行北行しプージャプラ東のPeyadに行く道筋。脇道脇道にそれていくので、宅地や椰子の事情がわかる。
ポリス競技場南のベイカリー陸橋Bakery flyover から東に進み、プージャプラの北にあたるMaruthamkuzhiにいたる走行。 
さらに2009年の映像として、プージャプラ北の Sasthamangalamの様子もあげておく。

 

最近中国でタイムスリップものが流行り、これを「穿越」と呼ぶそうだ。70年の歳月を旅する手がかりとして、僭越ながら以上をプージャプラ詣での手引きとしたい。
最後に年代はバラバラだが昔のケーララの画像クリップをリンクしておこう。

 

下の画像は1930年代の駅南口で、Padmanabhaswamy 寺院を西から撮ったもの。

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以下おまけで、現在のティルヴァナンタプラムの様子を紹介しよう。

バイクで
中央駅北4kmの Kowdiar はかつての王宮所在地で、そこから駅への道筋が市のメインロードとなっている。車も人も多くあまり近寄りたくないところではある。
Kowdiar から南下して ポリス競技場のある繁華な Palayam への道のり。同じくKowdiar から脇道を通って東の Karamana へ
市北西 Pattom から Palayam を経て Bakery junction へ 
対向車線を猛スピードで走り、コメント欄でもcrazyだのidiotだの罵られているライダーの投稿 。北西郊外から Aakkulam road で都心へ。

 

バスで123 

1は駅西口から Mahathma Gandhi road を北上して ポリス競技場横のキリスト教会を過ぎ PMG road で Pattom に行く路線。マードゥリーの「サージャン」のヒット曲 dekha hai pehli baar が流れている。
2は西口からMahathma Gandhi road を南下して Kovalam 海岸へ行く路線。ドアの開閉が独創的だ。3も同じ路線。

 

リクシャAuto rikshaで。これも ポリス競技場脇の Mahathma Gandhi road を北上し CSI church で右折して LSM Vellayambaram road から Sasthamagalam road を経由。そこから Sasthamangalam Maruthankuzhi road でKilli 川の New Maruthankuzhi bridge まで。プージャプラの北にあたる。

さらに
市からインド最南端カンニャークマーリへのサイクリング 。市内はとても自転車が住めた街ではないが、田舎は気持ちよさそうだ。

 

市からチェンナイへ列車の旅。北回りでバックウォーターが眺められる。西ガーツ山脈と東ガーツ山脈に沿っていく。

 

カンニャークマーリの手前まで南に下る列車 。2つ目の踏切から先の左方向がプージャプラにあたる。

 

駅前南の古い商店街 Chalai 市場の人通り。夜のChalai

南口 Pazhavangadi Ganapathy temple と Sree Padmanabhaswamy temple のあいだの East Fort のマーケット。Chalai に隣接している。

 

ポリス競技場横の Palayam Connemara market 。夜のChalaiと同じ撮影者で、機材が優秀だ。 Connemara market 前でフラッシュモブ。まだ消化不良だが、21世紀のパドミニはここらあたりから生まれるか。

 

駅周辺をうろつく観光客の自撮り。外国人禁制のヒンドゥー寺院に入りこんだり共産党の集会をのぞいたり好奇心の強い投稿者だが、長沙出身のヴァイオリン製作者でその人生はさらに波乱万丈だ。

 

さらにさらに
これだけヤシが多いと実が落ちたらどうなるかが気になる。豪州には Death by coconut(Wiki) という都市伝説まである。しかし記事を読んで、ココナツは見かけと違って重さ1kgしかないことがわかった。よほど当たりどころが悪くないかぎり、死にはしないだろう。

(追記:皮をむいたココナツを売っていたので頭にぶつけてみたら、涙がでるほど痛かった。これは死ぬ。)