46 Great Opening Lines: 37 - Sounds like wish

 

長い前置き

小説のワールドカップを開くなら「嵐が丘」が最強と目下思っている。小説好きでもない人間の意見だが。
拙い作品と呼ばれたこともあるように、けしてwell madeな物語ではないし、読みにくくて何度も放棄しかけた。だが読了後には「凄い」、いや正確には「スゲー」とわれ知らず発してしまったものだ。


難読は引っかかりの多さから来ている。「ロックウッド無能」「ネリー何者?」「キャサリーン今いくつ?」「この訳おかしくない?」など絶えず疑問が発生して滞った。作者には緻密なプランがあったとの近年の深読みもあるが、こちらのようなボンクラ読者にも伝わらなければ上手く書けているとはいえないだろう。実際には、29才の第一作で一人称でしか書けなかったのであちこち綻んでいるのだと思う。
しかしそんな語りの破綻など関係なく「嵐が丘」は凄い。人の思いの強さをこれほど描いた作品を知らない。とりわけ凄みを感じたのは、第一部の「わたしはヒースクリフ」と断じた愛の告白と、第二部の復讐の執拗さだ。

 

嵐が丘」で描かれた愛は恋愛や性愛に還元されるものでなく、親愛が高じて信愛にまで達する人間特有の類意識だろう。
それを帰依devotionと呼べばインド的なバクティスーフィズムでの神への愛が連想されるが、嵐が丘では天国や地獄、悪魔や魂が言葉としては使われ、幽霊らしきものも登場するのに宗教的な予定調和はない。ただ存在の一体化を望む強い情感の香気(と死臭)だけが亡霊のように読後につきまとい、人間の根底に触れた思いを味わう。

 

ヒースクリフの運命は身分制が産む分断に起因するが、復讐のありかたは直接的ではなく特殊な暴力性を帯びている。銃や剣でなしに毒(酒)で仇の身を滅ぼし家屋敷を奪い、教育で上流の子弟(わが子なのに)をクズにして財産を奪取する。そのクズっぷりの描写が容赦なく救いがなく、憎しみの強さが伝わってくる。


発表時は物語のあまりの激越さから作者は男だと噂もされたが、実際は宮廷ドラマのような女性的な復讐譚だともいえる。
タミル映画のリメイクであるマードゥリーの「ベーター」Beta はアニル・カプールの土地権利をねらって義母が字も読めない農夫としてアニルを育て、父親を鎖につないで小屋に監禁しておく。それでもアニルは母として慕いつづけるがマードゥリーとの婚姻で力学に変化が生じ、義母はアニルに毒を盛る。農村社会ではなじみある乗っ取りドラマなのだろう。ブロンテ家のヨークシャー周辺でも同様の実話があった。

 

時は産業革命時代、古代から近代への歴史的転換期で、一方で古い身分制の変化、他方でヒースクリフに暗示される移民の存在が世界の激動を予感させるが、作品自体は土地で一・二を争う荒野の二家族の間で終始し社会的背景は描かれない。
ヒースクリフはジプシーともインド人とも(同じことだが)推測されているが明示されることはなく、イングランド・ジェントリ(地主貴族)社会の比喩的な「客」として存在する。ロマンチックな、外部から来た神秘的な訪問者ともいえる。


エミリー・ブロンテは「嵐が丘」一作しか残さなかったが、現存しない「ゴンダル史」と呼ばれた長編ファンタジーを子供のころから書きつづけていた。姉のシャーロット・ブロンテも同じく「アングリア史」を綴っていた。アングリアはイングランドの古称だが、ゴンダルはグジャラートの古王国名だ。この対比は意図的だろう。インドの植民地化が完成に向かっていた時期であり、東方の情報は新聞を通じて北辺のブロンテ家にも流入していたし、謎の人物ヒースクリフの設定の裏付けとなっただろう。インド出自の神秘的復讐者としてはティプ・スルターンの甥でラージャーの息子であるネモ船長も思い出す。

 

発端から言えば、嵐が丘館の家長がリヴァプールから連れてきた孤児がヒースクリフだった。色が黒く未知の言葉を話していたので外国人と考えられた。
リヴァプールは物語の時代である18世紀後半は奴隷や毛織物の貿易港だった。そこから子供を拾ってきたのは慈愛に基づく行為ともいえるが、農地経営には男の働き手はいくらでも必要としただろう。映画「最愛の子」に見るように、中国の農村では誘拐してまで男子を得ようとする。
子供は死んだ長男の名をとってヒースクリフと名付けられるが姓を与えられることはない。このためヒースの生える崖を意味する命名は地霊のような象徴性を終始もつことになる。


ヒースクリフは実子同様に育てられキャサリーンの親愛、兄ヒンドリーの嫉妬と憎悪の対象となる。
そして第一世代の家長が死ぬとヒースクリフは直ちに下男の立場に追いやられてしまう。これはガスト・アルバイター、客分として歓迎され、次の世代には疫病神のように排斥される欧州移民の運命と重なるものがある。

長子相続制イングランド農業社会では、現実にはヒースクリフは競争相手にならない。長男以外のジェントリの子弟は、大学に行って専門職に就くあるいは貿易商人になるか植民地軍人を目指すのが相場だった。どのみちヒースクリフも運試しをしなければならなかっただろうが、キャサリーンとの関係が悲劇を呼ぶ。


キャサリーンは甘やかされて育ったわがまま、高慢な娘で一方でヒースクリフへの至高の愛情をもちながら、他方で結婚は「身分が落ちる」からと否定する。心は荒野にあり柔弱な上流ジェントリを軽蔑しているのに富への願望もあり、より豊かで文化的な家との縁組を望む。少なくともキャサリーンの中では整合しているはずの立場(金持ちになってヒースクリフを助ける)だったが、当人にとっては裏切りでしかなくその姿は嵐が丘から消える。そしてどこで富を得たのかジェントルマンとなって帰ってきた三年後から復讐の第二部が始まる。板挟みになったキャサリーンは狂死し、屍鬼と化したヒースクリフは墓をあばく。