カマラー大師2

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tubeにもあるカマラー映像を紹介する。

Kismet - Baby Kamala’s Dance
(Kismet 1943 ヒンディー)
ヒロインの少女時代を演じた。9才。まだ天資は現れていないがアビナヤは長けている。
door hato aye duniya walo hindustan
映画が記憶されるのはこの場面による。「独にも日本にも頭を下げるな・・インドはわれらのもの」という歌詞なので検閲を通ったが、観客は英国に置き換えて熱狂的に歓呼した。歌だけフィルムを巻き戻してリピートさせたあたりアリランに似ている。失策に気づいた帝国当局は作詞家に逮捕状を出したが、時すでにおすし。

 

童年Kamala双人舞
(Ram Rajya 1943 ヒンディー)
ラーマーヤナの映画化。

 

童年Kamala的蛇舞 
(Jagathala Pratapan 1944 タミル)
10才ですでに一流だ。
弾幕に「正太」とあったのでショタかと思ったらほんとにそうだった。萝莉とか百合とか、腐海が広がっている。

 

童年Kamala三段舞 
(Sri Valli 1945 タミル)
ムルガンと部族の娘の恋にまつわる民話を映画化した。娘の子供時代を二役で踊る。ハリニ・ジーヴィター11才のアランゲートラム と比べても技術が完成されている。
61年にパドミニ、シヴァージ主演でリメイクされた。その時の子役はのちにパダヤッパーの母になった。

 

鼓上舞——Kamala大师少年时期的舞蹈  vetri ettuthikum etta
(Naam Iruvar 1947 タミル)
独立半年前に上映され、カマラーのふたつのダンスで記憶される映画となった。
aaduvome pallu paaduvome 
まだパーキスターンが版図にはいっている。

 

naathar mudi meyl
(Digambara Samiyar 1950 タミル)
民間舞踊であるPaampu attam(wiki)をもとにしたスネークダンスを演じている。衣装も伝統的なもの。パドミニ、ラリタも出演した。あぶないオヤジを眠らせないため踊りつづける。長い版 

 

1952年の Parasakti はドラヴィダ運動の起爆剤となった。おのぼりさんのシヴァージをはめる悪い娘。時代の節目節目にカマラーの踊りは刻まれている。中国人にとっても「 Oh Rasikkum Seemane,洗脑性很强 」のようだ。

 

印度古典舞大师Kamala的两段舞蹈
haye tu hi gaya mohe bhool re
(Kathputli 1957 ヒンディー)
ヴァイジャンティマーラー映画の幻想場面に登場。これを味わうと下手な踊りは見たくなくなる。結婚し56年にはカマラー・ラクシュマンLakshman、Laxman 、60年離婚、現在はKamala Lakshmi Narayanan。

 

【中字】印度古典舞大师Kamala精彩献舞
dil mein pyar ka toofan
(Yahudi 1958 ヒンディー)
タイトルはヒンディー語ユダヤ教徒で、パールスィー劇場の当たり狂言 Yahudi Ki Ladki の映画化。ローマ帝国が舞台だが、これは結婚式でのアイテム・ナンバー。
花嫁のニガール・スルターナーがディリープ・クマールに視線をそそぐ。この演出は「偉大なムガル」で踏襲されている。
歌詞の翻訳が多いのがビリビリの長所だ。

 

愤怒与绝望之舞
(Sivagangai Seemai 1959 タミル)
クライマックスのダンス部分だけを編集してある。
「ヴィーラパーンディヤ・カッタボンマン」の戦いの2年後にあたる Maruthu Pandiyar の叛乱を描く史劇。階段落ちも辞さない。

lal meri pat のスーフィー行者はこの踊りを踏まえているのだろう。