色戒はどうかしている

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色戒ラスト・コーションは、頭の中の絵空事を画にする李安の才能が発揮された作品だ。大学の演劇団が抗日意識の高まりのあまり、漢奸の梁朝偉の暗殺を計画する。湯唯が囮となって罠をしかけるが、成功を目前にした最後の瞬間に湯唯はみずから梁朝偉を逃がしてしまい一座は処刑され壊滅する。

 

この映画は張愛玲の同題の短編「色、戒」を原作にしている。そこでは男と女の思考の違い、女のおろかさが描かれているといわれる。たしかに湯唯は宋襄の仁、婦人の仁と呼ばれるような無意味な情けをかけてしまったように見える。しかし小説を読んで、李安の考えはまた別ではないかと思った。

出発点の学生の作戦は、命がけではあっても漫画的なものだ。敵に近づいて信用させるため、湯唯は体を使う必要があるとされる。しかし性経験がないので、恋人をさしおいて劇団員で唯一童貞でない男と寝る。準備がととのったところで、動きを見守っていた本物の抵抗組織があやぶんで介入し計画を中止させる。湯唯の献身は無意味なものになる。

話はここで喜劇として終わってもよかったが、方針が変わって作戦は再起動される。この時を含め主人公が心中を独白する邦画みたいな演出はないので、湯唯が何を思っているかは終始わからない。しかし出発点とは違うところにいることは想像つく。

ここまでは導入で、本筋は湯唯が性交渉をつうじて梁朝偉の心を獲得する交情場面が描かれる。功夫映画は格闘を通じて話をすすめるが、性行為で物語をかたる作品としてこれほど説得力を感じたものはない。李安の手にかかれば、人が空を飛ぶことも虎とボートで航海することも、宝石商人がアヌパム・ケールであることも信じられる話となる。

 

画になった絵空事に人が何を感じるかは、監督にとってどうでもいいことだろう。信じさせたものの勝ちだ。
湯唯の行動は、目的から考えればおろかな逸脱だ。しかしもっと愚かなのは侵略戦争を始めた男たちの強欲だ。湯唯自身は、最初の計画の挫折のあと虚無を漂っていたのではないかと想像する。再度の着手はやり残したことへの未練だろう。性交渉では偽れないから、梁朝偉との性愛は演技でなくほんものだったと思われる。しかし、そんなに性交を過大評価する必要はない。三世を誓って三年で別れるのが人間だ。湯唯に必要だったのは、仲間とのでなく自分の勝利だった。キャッチ・アンド・リリースは湯唯の勝手だ。

 

以上は、この話を信じてしまった観客としての勝手な感想だ。張愛玲に対しては、ずいぶん上から目線だなと思っていた。原作小説は実話にもとづいているといわれる。しかし現実の出来事はもっと複雑で、張愛玲は漢奸のあいだで流布した物語を基礎にしたのではないかと考えるようになった。性愛で女を屈服させた男の話として。

漢奸は汪兆銘政権の支持者で、国民党や共産党の抗日路線に背いて反共対日協力で分派した傀儡たちを指す。韓国でいう親日派、フランスならコラボと呼ばれた人々だ。張愛玲自身が漢奸の高官と結婚していた過去がある。このため、内戦終結後上海を離れ香港に行き、そこにも居られなくなって米国に渡った。
「色、戒」を発表したのは1978年で、モデルにしたとされる鄭蘋茹が処刑されてから40年近く経っている。なぜこんな話を書いたのだろうと考えると、目線は上からでなく自嘲にちかい自分語りではないのかと思い至った。


実在の郑苹如は敵をわざわざ逃がしたりはしていない。モデルの丁黙邨に近づき間諜として活動したことも、丁黙邨暗殺計画があり加担して失敗したことも事実だが、関与の具体性は明らかでない。しかし容疑で銃殺され、烈士として奉じられている。
鄭蘋茹の父親は法政大学出の法律家で、孫文支持者だった。妻は日本人で鄭蘋茹は日中二世にあたる。このため少女時代から目立った人物で、雑誌のモデルになったりした。日本語を使えたので上海を自在に動き回った。
鄭蘋茹については、「色、戒」よりおもしろい物語が紡げそうで映画も小説もあるが、現実はもっと先を行っていて百度郑苹茹ではゲームの主人公として紹介されている。


浜辺美波横浜流星の「私たちはどうかしている」をTVerで観ている。子供時代に幼なじみの流星の証言で殺人犯にされ獄死した母親の無実を証明し復讐するため、美波が流星と偽装結婚する話だ。流星は実家の和菓子屋の実権をにぎるため美波を利用しようとする。しかし若い男女が布団をならべて寝れば、マーフィーの法則が発動して起きる可能性のあることは起きる。
漫画が原作で脚本も演出もひどい。でも第四話ではひどさが熟れてきて冒頭から二人があんなことやそんなことをするし、当面の悪は一矢報われ手先は改心する。ジェットコースターの山場にさしかかったところだ。
どうかしている話だが、色戒に似ている。

 

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