フィルドゥースFirdous がデビューしたのは1963年、もっとも記憶されているのはヒールとラーンジャーの悲恋を映画化した Heer Ranjha (1970 パーキスターン)でだ。
はじめてフィルドゥースに目がとまったのは lal meri pat (Dilan Day Saudy 1969)で、踊れる人だし頑丈そうだと思った。これはフィルドゥースを語る記事でよく言及されることで、「牛のような」と亜大陸限定の賛辞が付け加えられたりする。
aaj menu ki hoya (Munmaunji 1965)
パンジャーブの原っぱを心地よく駆けぬける。外光にまけない迫力がある。
naagon ke raja aa ja (Nachay Nagin Bajay Been 1965)
この蛇踊りで初めてみとめられた。
kalla banda hovay bhanvein (Chacha Jee 1967)
パンジャーブでは女子がストーキングする。
pak patan te ishq na puchay zaat (Ishq Na Puchay Zaat 1969)
火ばさみのような楽器は、実際に火ばさみの楽器だ。
hai ve tu aaja (Yaar Badsha 1969)
座りムジュラー。眼の表現が効果的だ。ムジュラーの技術から出て来た人なのだろう。
teri aan main teri ranjhana (同)
吹奏楽を従えた火ばさみ踊り。
teri aan main teri ranjhana (同)
座りムジュラーで同じ曲を演じる。
フィルドゥースは1972年に Japani Guddi という日本ロケを取り入れた作品で主演した。ただヒロインはパンジャーブの地元にいて、コメディアンの
Love in Tokyo (1966 ヒンディー)、Around the World (1967 ヒンディー)、Ulagam Sutrum Valiban (1973 タミル) と、このころ日本ロケ作品がつづいているのは大阪万博があって撮影しやすくなったからだろう。パーキスターンもトルコ、イランと共同館を運営した。
Pakistani cinema (記事は上と同じ)
ラーホールにはフィルドゥースが所有する Firdous Market があり、グーグル地図で見ることができる。