七十二家房客

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1963年の中香合作喜劇映画である七十二家房客を観ると、周星馳功夫(2004)の源泉がわかる。

細民たちのすむ住居の風情もそうだが、ことに功夫で元秋が演じた包租婆(女の大家)は登場のしかたまでそっくりだ。結婚引退していた元秋を、三顧の礼で引っ張りだした周星馳の目はたしかだった。映画全編

 

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元祖の七十二家は戦前の上海を舞台にした滑稽演劇だった。63年に香港地下党の領導映画製作者(おそろしい)が、海外華僑向けの広東語映画を企画したさいに素材とされた。

水道場での争いを発端とする前半は寸劇集のようだが、後半は大家夫婦が養女を腐敗した警察局長の嫁にしようとする企みと娘をかばう住人たちの攻防が描かれる。福原愛似の娘を房居のあちこちに隠し、はやい切り返しで鬼ごっこする姿は喜劇の手本だ。

63年版では房客たちの描写よりも、娯楽場に建て替えようとする悪辣卑小な大家夫婦の造型が強烈で二人が主演といえる。周星馳版は夫婦が実は神雕侠侶の小龍女と楊過のなれの果てで、住人の味方だということになっている。

 

63年版は米中冷戦の最中に米国内で上映された唯一の中国映画だった。文革のときは毒草として大批判された。紅衛兵たちは作品を観ていなかったので上映したところ、大爆笑となり追及は取り下げられたという。

主演の二人は傑出した役者だが、男大家(包租公)の文覚非は粤劇人で息長く活動した。包租婆の譚玉真文革広州市人代代表として批判にあい、69年に自殺し79年に名誉回復された。

 

1973年版の七十二家房客は、蕭芳芳記事で書いたように広東語映画再出発の画期となった。劇情は63年版をふまえているが、当時の人気俳優を多数登場させたもので主演の岳華や客演の陳觀泰、鄭少秋など武侠映画常連が顔を出している。

 

1959年初演の「がめつい奴」は、釜ヶ崎の簡易旅館を舞台に欲と人情のぶつかりあいを描いている。戦後アジアの開発立ち退き圧力と住民の抵抗の構図は共通していたのだろう。

七十二家房客が2006年に日本の舞台で上演されたさいには、島木譲二島田珠代が客演している。