国際私的チャンネル

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赤のメーガーラヤ州東端に Lad Rymbai はある

 

メーガーラヤ出身のインド人と北海道出身の日本人カップルのtubeチャンネルがあった。

Tashi と Hinako は1990年生まれで、オーストラリアのブリスベンで結婚生活を送っていた。

Tashi はメーガーラヤ州の交通要所 Lad Rymbai でレストランを営む家庭に生まれ、学校は家を離れ西ベンガル州ダージリンで学んだ。オーストラリアの大学に留学し大学院まで進んだが、レストランで仕事もしていてそこでワーキングホリデーで来豪した Hinako と出会った。自己紹介

 

Tashi の母親はシェルパ族、父親はシッキム州のブティヤ人で家庭ではネパール語で会話していた。親は現地にいるが、他の子供たちはやはり海外に出ているようだ。いま姉妹とは英語を用いているという。子供のころの楽しい記憶として、休日になると家族で川に行って洗濯と水浴をしたことをあげている。

 

水道橋博士長澤まさみのようなペアだが、Tashi は考えかたも食事の好みも自分はインド人だという。ネパール語ベンガル語ヒンディー語ができるがいちばんしっくりするのは英語だとのことだ。ブリスベンの住まいに神様色はない。

 

ふたりの生活に変化をもたらしたのは、コロナだった。第一波がやってきた昨年3月に外出自粛が発令され、Tashi は失業してしまった。このころからtube更新がさかんになり、投稿は家族友人への近況報告とふたりの生活を記憶する道具となった。

グーグル翻訳でヒンディー語会話

グーグル翻訳で日本語会話

 

5月にジョブキーパー制度が導入され復職したが、完全雇用とはならず不安定な生活がつづいた。ブリスベンはまだましで、メルボルンはこの年4か月近い都市封鎖が実施された。

 

このなかで Tashi には「自分たちはけっきょくオーストラリア人にはなれない」との思いが生まれた。日本に移住する計画がかたまっていった。当地は気に入っているが、 Hinako のために移ると Tashi は語っている。Tashi のオーストラリアでの日々はカレーバッシング時代と重なっているが、あまりその影はうかがわれない。

最後の思い出づくりか、ふたりはしきりに旅行をするようになった。また第二波さなかの8月にはブリスベン北のヌーサに引っ越し 、当地のレストランで働きだした。出国前にオーストラリアの海を味わっておきたかったという。2020年回顧 suffering

 

3月はじめにふたりは北海道をめざしてオーストラリアに別れを告げた検疫期間は千葉の民泊に腰をすえた。日本の隔離は任意制なので、スーパーに買い物に行ったりコージーコーナーのケーキをもとめたりしていた。

 

投稿は3月11日が最後になっている。しばらくは忙しい日々になるからチャンネルは中断されるだろう、と Tashi は予言していた。ヴィザの取得は簡単だったが、住居や職の安定には時間を要するだろう。