ヴィジャヤニルマラ、クリシュナ
テルグでNTRの Daana Veera Soora Karna が発表された1977年には、おなじくマハーバーラタ映画である Kurukshetram が製作された。こちらは20才年下の、スーパースター・クリシュナがアルジュナ(テルグ:アルジュヌル)を演じた。どちらもサンクラーンティ(小正月)のお祭り興行で、新旧スターの激突となった。
Kurukshetram はカウラヴァ視点の Daana Veera Soora Karna と逆に、正系のパンダヴァ側を主に描いている。当時の人気者である Krishnam Raj がカルナ、Sobhan Babu がクリシュナのスター興行だった。
マハーバーラタを映画化する場合、いくつかの大きなイヴェントを軸に話が組み立てられる。Kurukshetram の場合、
アルジュナ弓合戦とドラウパディーとの婚姻のいきさつや蝋館焼き討ちによる暗殺のこころみは抜けて、以降のパンダヴァ兄弟の逃避行からはじまる。
前半は逃亡中の挿話として
アルジュナのスバドラーとの駆け落ち
が描かれ、
国に復帰してからは
ビーマのジャラーサンダ殺し
幻影宮殿でのドゥリョーダナの恥かしめ
アビマニュとウッタラーの交情
カルナの不死身の鎧の布施
ドラウパディーの脱衣の危機回想
クリシュナによる調停
に至る。
スバドラーはスーパースター・クリシュナの妻、ヴィジャヤニルマラが演じている。スバドラーは半神クリシュナの妹で、これによってクリシュナとパンダヴァの同盟が結ばれた。
幻影宮殿Maya Sabhaではドゥリョーダナが誤って池に落ちて恨みをもつのだが、山際素男訳マハーバーラタの解説ではガラスの存在に無知なほど文明が衰退した姿として解釈されている。インダス文明滅亡後に侵入した中央アジア遊牧民の末がパンダヴァとカウラヴァ一族で、パンダヴァの幻影宮殿はアシュラのマヤースラに建てさせたものだった。アスガルドを巨人族に築かせた北欧神話にも似ている。
NTR版ではここでジャヤマーリニが踊るのだが、クリシュナ版では姉のジョーティラクシュミがドゥリョーダナを誘惑する。
ドゥリョーダナ役の Kaikala Satyanarayana は、 Daana Veera Soora Karna では剛腕ビーマを演じている。貫禄たっぷりだが若いころはNTRそっくりさんとして頭角をあらわし、ここでも悪役を好演している。この他にもシャクニ役だった Dhulipala がインドラになるなど、両作品の役者は被っている。
アビマニュは、スーパースター・クリシュナとスバドラーの息子にあたる。ウッタラーはアルジュナの変性時代の踊りの弟子で、ここではジャヤプラダが踊っている。Nartanasala (1963) では L.ヴィジャヤラクシュミ が演じていた。
カルナはパンダヴァ兄弟の母 Kunti の隠し子で、カウラヴァ側であってもパンダヴァとは兄弟にあたる。父は太陽神スーリヤで、鎧を体に埋めこんでいた。それをバラモンに布施として与え、死の運命を身にまとうことになる。
時系列があちこち飛ぶ構成で、賭博の場面はない。かわりにドラウパディーの回想で脱衣が語られる。ジャムナの演技は説得力があり、美人でも踊れず演技ができないヴィジャヤニルマラとの差が感じられる。ヴィジャヤニルマラは、女性監督としてギネスに名を残した。
賭博に負けて13年間追放中の挿話は、この作品では出てこない。
後半は戦争場面になる。ただし神話の闘いなので現実味はなく、Veerapandiya Kattabomman (1958) や Mughal-e-Azam (1960) と比べると、テルグには戦争映画の蓄積がなかったと思える。各登場人物の死が次々と語られる。
後半のイヴェントとして
クリシュナの巨人化Vishvarupaの顕現
カウラヴァ司令官ビーシュマの矢ぶすま
アビマニュの死
インドラの槍
ラクシャサとガトートカチャの活躍
カルナとクンティーの親子対面
カルナの逡巡
ビーマによるドゥシャーサナ殺し
カルナの死
ドゥリョーダナ決闘
と盛りだくさんにエピソードが連なる。
ビーシュマはパンダヴァ、カウラヴァ共通の師父として尊敬されていた。女に武器は向けないとの誓いを逆手にとったクリシュナの姦計で、両性具有のシカンディーを戦車に乗せたアルジュナとの対決で戦闘を放棄し全身に矢を浴びた。そこから戦争の流れがパンダヴァ有利に変わることになる。
ビーマは賭博場面でドラウパディーの髪をつかんで引きずり、服をはぎとろうとしたドゥシャーサナを殺し血をすする。ドラウパディーはその血で髪を染めさせる。ここでもジャムナが怖い。
アルジュナとカルナによる神話的兵器を使った攻撃の応酬は、NTR版とおなじく特撮の水準が低い。これはガトートカチャの場面にもいえる。
ビーシュマに代わって司令官となったカルナは母クンティー(アンジャリー・デーヴィ)と対面し、アルジュナ以外のパンダヴァは殺さないと約束する。このため何度好機があっても敵を見逃してしまう。最後は呪いで戦車の車輪が大地にめりこんだところを、息子アビマニュを殺された恨みに憑かれたアルジュナによって討たれる。
すべての兵を失ったドゥリョーダナは湖に隠れるが、パンダヴァに居所をつきとめられる。そこでビーマと決闘となり、弱点の太腿を砕かれて死ぬ。
ドゥリョーダナは裸で母の視線を受ければ不死になる機会があったのに、バナナの葉を腰にまいたためそこだけ祝福を得られなかった。アキレウスの話に似ている。
映画ではNTR版もクリシュナ版もドゥリョーダナの腿が朱に染まるのだが、もともとの話では下腹部を痛打されたのだろう。旧約でも太腿は性器の言いかえだった。原典では反則攻撃であったことが強調されているので、玉砕だったのではないか。
以上の見せ場は、クリシュナ版とNTR版で重なっている。挿話がおおいので、シカンディーの登場など数秒で描かれてしまう。また叙事詩マハーバーラタだけでなく、南伝の異本の話も混じっている。
NTRのカウラヴァ版には、カルナの物語がつけ加えられている。前半では赤子のカルナを箱舟に乗せて流すところや、身分が低いとして弓合戦への参加を拒まれたのをドゥリョーダナが助ける場面がある。そこから両者の盟友関係がはじまっている。
Kurukshetram と Daana Veera Soora Karna の対決は、興行面でも後世の評価でも後者が圧倒した。クリシュナ版は、tubeにもあまり映像がない。
戦闘場面は前者のほうが大がかりで、カメラを手持ちふうに動かしたり工夫している。脚本はNTR版がすぐれていて、当時でも記録となった長大な作品だがあきさせないし悪のNTRショーとして求心力がある。クリシュナ版はよくもあしくも正月興行的で、正義派の見せ場の羅列になっている。