カルナの戦車(2)

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デコトラのような四頭立て四輪戦車で進軍するシヴァージのカルナ

 

古代戦車は一本の木の轅(ながえ)で二頭の馬と二輪の車体をつなげていた。

二輪車は轅がないとひっくりかえる。

四輪馬車は旋回軸が発明される前二世紀あたりまでは、方向転換が不自由なため儀礼や輸送用にしか用いられなかった。

戦車の主流は軽快な二輪車で、カルナは指揮官あるいは狙撃手として後方に陣取っていたことはありえる。

 

 神話が歴史の根拠にはならないように、神様映画の時代考証に意味はないが手がかりはえられる。

マハーバーラタは前3-後3世紀あたりの成立で、素材となった部族戦争は前8-9世紀くらいのことでないかといわれる。釈迦が生まれる200年前くらいのことだ。釈迦時代のクル国はすでに小国となっている。

リグ・ヴェーダに前12世紀あたりの十王戦争と呼ばれるバラタ族を巻きこんだ戦いの記述があり、そうした過去の争闘の記憶も下地にあるのだろう。また叙事詩成立時代の出来事も反映されているだろう。

 

 

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クルクシェートラの会戦

映画の主力は二輪車で、司令官の四輪車、戦象と騎兵と歩兵で構成されている。先頭右がカルナ、左がアルジュナ

実際には歩兵を従えた戦象が突撃の主体で、戦車は戦象を補完する役割だった。本格的な騎兵は前7世紀くらいにメソポタミアで成立したといわれるので、クルクシェートラには間に合わない。

 

 

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この騎兵は、鞍と鐙を装備している。鞍の登場は前6世紀アルタイ山脈の草原。鐙に似た物の初出は前2世紀ころのヒンドゥスターンだが、本格的登場は紀元後になる。

 

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一頭立て

両軍の二輪戦車は一頭立てだが、二本轅の一頭立て馬車があらわれるのはローマ時代だ。車両と馬体の改良で一頭による牽引が可能になったのだろうが、そのころすでに戦車は騎兵に取ってかわられていた。映画では、馬の調達のつごうで一頭なのだろう。

 

 

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スポーク

前2000年期コーカサスでスポーク(輻)は発明されたらしい。それまでは板車で重かったから、戦闘には向かなかっただろう。カルナの戦車もスポーク式で、チャクラふうに見えるのは装飾板を張っているからだ。

 

 

戦車の発明

 

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前2500年シュメール・ウガリト。 

初期の戦車を牽引するのはロバだった。車輪も板張りだ。

 

 

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前2000年インダス文明の牛車。

車体は戦車に似ている。印章からロバの存在も知られているのでロバ車もあったろうが、発掘はされていない。

 

 

中央アジアでの馬の家畜化は前4000年代にさかのぼれる可能性もあるが、戦車に用いられるようになったのは前2000年代以降といわれる。

 

中央ユーラシアは農耕に適さないが何もない広大な草原は交通路となり、それに適応した動物である馬を生んだ。

家畜化された馬は自らを養い、人を養い、自己増殖する高速の交通手段、軍事手段となった。中央ユーラシアに細々と散開していたモンゴル語、テュルク語、インド・イラン語話者などの牧畜民たちは、馬によってアジアの東西に拡散し覇権を得ていった。

農耕社会の王権も馬を獲得することに躍起となった。良馬を求めて漢の武帝は、フェルガーナを征服している。

 

以後、騎馬の技術が確立してからの騎馬遊牧民たちは、2000年以上にわたってユーラシアの支配勢力となって古代農耕社会の歴史を左右してきた。本来貧しく農耕社会に従属した遊牧民には文字も文化の蓄積もないが、馬があり国家の本質である軍事力があった。何もないから縛りもなく言語を超えた離合集散が自由で、イデオロギーは支配した現地で調達した。農耕社会の支配階級にはなれたが、農業を牧畜に置き換えられたわけではない。

 

 

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スポーク式戦車の想像伝播図。中国の戦車が伝来か独自発明かの定説はない。物証も前13世紀の殷墟までしかさかのぼれない。

 

馬を伴った中央ユーラシアの移民たちは西に行きヒッタイト人、ミタンニ人となり西ユーラシア、アフリカまで勢力を築いた。

インド・イラン語派話者のなかにはアフガーニスターンを経由してハイバル峠を越えた者もいた。インダス文明滅亡後の前1500年代の権力の空白をこれらの牧畜民たちが埋めることができたのは、馬を用いた戦車の力が大きかったと思われる。

これ以降も中央アジアからの騎馬軍団としては、大月氏の末裔とされるクシャナ朝やアフガーン系イスラーム、ムガルなどがインドの支配権を握った。

 

 

ヒンドゥスターニー平原で争闘がおこなわれているころ、世界の各地でも戦車戦がたたかわれている。

 

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前1250年商周牧野の決戦想像図。騎兵はフィクション。

 

 

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前1274年カデシュの会戦復元図。戦車は二頭立てだ。

 

これ以降、戦車はだんだん騎兵にとって代わられていく。

 

wiki以外の参考図書

ウマ駆ける古代アジア(川又正智)

馬の世界史(本村凌二

インダス(長田俊樹編著)