マーマーンガム大祭

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1921年のwalluvanad(Ernad、Malappuramの下)

ターヌール国の東隣にValluvanad国があって、やはりコーリコードと争っていた。ヴァルヴァナードの国境はターヌール同様はっきりしないのだが、たいがいの地図ではターヌールの東の内陸部に描かれている。

かつてはBharatappuzha川に沿ってPonnaniの港まで領地だったらしい。河口から10kmほどのところ(Ponnaniの文字の o のあたり)にThirunavayaがあって、そこで12年にいちど開かれるMamangam大祭はケーララでもっとも格式あるものだった。北インドのクンブ・メーラーに相応し、ケーララ全土から旗印が奉納されたといわれる。祭の主催者はかつてヴァルヴァナードだった。

 

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Thirunavaya Navamukunda Temple

 

コーリコードはイブン・バットゥータの14世紀の旅行記で、世界でもっとも規模の大きい港のひとつに数えられている。他はアレキサンドリア泉州(ザイトゥーン)、トラヴァンコールのコッラムKollamなどだった。

 

「ムライバール地方には、12人の異教徒の君主たちがいるが、彼らのなかには5万人の軍隊を持つ強力な君主たちがいる一方、僅かに3000の軍隊の弱小の君主もいる。しかし彼らは互いに決して争うことはなく、彼らのうちの強者が弱者の所有するものを強引に奪い取ることも望まない。」(大旅行記平凡社

ムライバールはマラバールのことで大勢力はコーリコードやコチ、弱者はターヌールやヴァルヴァナードらを指す。チェーラなきあと平和だったのはアラブ人が商人や軍人として各港に影響力をもち、カルナータカやタミルから移住してきたバラモンがケーララ全土に広がり安全保障体制があったからだろう。バットゥータによれば街道の治安は良好で、ココナツやマンゴーひとつ拾っただけで死刑となり道端にさらされたという。

 

しかし年代はあきらかでないが、ザモリンSamoothiri(海の王。スマトラと同じ。)と代々称されるコーリコードの領主がマーマーンガム祭の主催権を奪ってしまった。そこから18世紀までつづく両国の因縁がはじまっている。そのもっとも象徴的なものが、12年ごとの大祭にヴァルヴァナードが選りすぐりの刺客たちを送りこんでザモリンの暗殺に向かう習わしだった。

ナーヤルが主体の刺客たちは殺戮をかさねたあと護衛兵に返り討ちにあう運命で、自殺部隊が生きて故郷に帰還することは許されなかった。

 

この伝統にもとづいて2本のマラヤーラム映画が製作されている。

1979年のMaamaankamプレーム・ナスィールK.R.ヴィジャヤ主演。ふたりは1966年の Anarkali でサリーム王子とヒロインをそれぞれ演じた。冒頭から15分間つづく祭の場面は大がかりで、マラヤーラム映画としては大作だったようだ。祭のあとK.R.ヴィジャヤの回想となり、子供時代の主人公たちの出会いと刺客たちの敗死による別離が描かれる。

批評も興行も不調らしく記録はとぼしいが、円満な結末のない話だからだろう。

 

2019年には、マンムーティ主演でMamangamが撮影された。こちらは250カロールの大ヒットだった。悲劇ではあるが、歴史の解決が示されていた。カラリパヤット映画でもあり、欧米アクション映画の既視感とインド的やりすぎ特殊効果が混合している印象だ。予告

いちばんの見どころは、インド最悪のダンサーとも称されめったに踊らないマンムーティのダンス場面だろう。なかなか可愛い。

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