ギョギョギョ

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驚いたことに能年監督主演映画のRibbonは、よくできていた。

作家でも職人でもない人間が映画を撮り、仲間ぼめでそれを良しとするのが邦画の問題点だ。期待しないで行ったのだが、描こうと思ったことをちゃんと作品化した作家の映画になっていた。

 

技術的には新人賞で入賞する水準だろう。しかしそれを2時間にわたって持続するのは、まったく別の難易度になる。大感染時代の悲喜と人の距離感を、尺を正しく使って表現して面白い。出演者がみなマスクしている映画がナウシカデューン以外にあるのだろうか。さいしょはアートっぽいと思わせてコメディーとなり、ささやかな冒険があり距離が縮まり希望のもてる結末に導いている。次回作も期待したい。

 

するとまた驚きのニュースが来た。魚仙人をチョウザメのように女体化して能年が演じるというのだ。

nondesu.jp

映画はキャスティングできまるという。jejeからgyogyoへの音韻転化を発見した人は天才かもしれない。この監督の作品は見たことがないが、期待してよさそうだ。

 

 

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浜辺美波のドクターホワイトは、営業中の病院の一角を借りて撮影しているのだろうか。動線がかぎられ、医療の現場の感じがしない。せっかくクセのある役者たちがいるのに、休憩室にあつまってコーヒーを飲んでいるだけだ。それで中盤以降停滞してしまった。

これまでの浜辺ドラマは個性をあたえられたキャラ、つまりギャラが発生する役者が数人で話を回していた。あるいは若手の集団が、放課後のように嬉々として顔芸合戦をくりひろげるような類のものだった。制作が安かった。

それでもそれなりに知恵をこらした面白い作品もあったのだが、今回は重要な人物がふえたのに交通整理ができていない。条件の制約でなく、これは制作と脚本が悪いからだ。

陰謀話は仲間由紀恵は霊能力者かという程度の、におわせで充分だったのではないか。この副筋のためメリハリがなくなってしまった。

毎回「誤診です」のアイデアに力を入れ、そのたびに浜辺が感情を獲得して人間らしくなり最後はふつうのドクターXになる構成にすればよかった。巨悪の居場所が、営業中のオフィスの一角を借りているようにしか見えない予算なのだから。最終話でどう挽回するか。

 

韓国ドラマはよくできて面白いが、細部を見ると頭をぶつけて記憶を失ったり取り戻したりとか上等なものではない。会話も家臣が「〇〇でございます!」というと王様が「なに、〇〇なのか!」と大事なことを二度いう。

それでもあきさせないのは、緊張と緩和、モヤモヤと発散の転換が上手だからだ。確実に感情の浄化がえられる。これは映画産業が健在で、語りの技術が蓄積されているからだろう。日本は車を売ってハリウッド製品を買う貿易体制で、製作の伝統が断絶してしまった。

 

恋せぬふたりは再度延期で、今月21日に話は完結する。ということは桜の開花に間に合って、最後に岸井と高橋が大岡川を歩くかもしれない。ドラマ自体は、すでにサクラチルだが。