悪女完結 

 

ドラマの結末に劇はなくて、ただ話を終わらせる機能があるだけだ。民話なら「めでたしめでたし」とか「どっとはらい」のような決まり文句になる。

忠臣蔵が討ち入りで終わるのは、そうしないと結びにならないからで劇的なことはすでに語られてしまって何もない。気まぐれで大石が吉良を見逃せば、ドラマは生まれるだろう。

 

女性管理職5割化計画については、NTTが在宅勤務化方針を打ち出した。大感染時代の流れと通信革命の結合で、おそかれ早かれこの方向からの波が家庭や管理職制度に打ち寄せるだろう。

問題は技術革新はつねに無政府的に進行して、目的意識的、合理的だったことはない点だ。人間の側がなんとか折り合いをつけるしかないのが、これまでの歴史だった。

 

 

悪女のラストは「よかったよかった」くらいしかいうことはないのだが、今田美桜初主演の健闘はたたえなければならない。これからは何でも出来るだろう。

 

 

目が何度もこぼれおちそうになった。いつか出目特集をやりたい。

 

 

 

 

 

 

アボカドの漬物は食べてみたい。

 

 

今田の手編みだそうだ。

 

 

悪女を女性社員列伝として考えれば

江口のりこ志田未来石田ひかり、阿佐ヶ谷姉、石橋静河近藤春菜北乃きい石井杏奈桜井ユキソニンと高い演技力の持ち主が集まっていた。

これだけ人材がいれば天下を覆すことなどたやすいとも思えるが、役者はつぎつぎと新しい才能が生まれてきても演出や脚本はそうはいかない。

俳優は20才で登場して、すでにその歳月が風貌に刻まれて何者かになっている。その年で箸にも棒にもかからなくても、さらに年月を重ねれば読みこむに足る経験が刻印される。

ところがほとんどの監督は最初の一、二作で才能の全容をあらわし、あとは枯渇していくだけのように思える。

そこでつねに不足するのは制作の頭脳の側だということになる。

 

文運がふるわないので、すでに映画やドラマの源泉はマンガになっている。さらにいまは、TVのドラマ枠そのものが縮小しつつある。こちらもTVerしか見ないのだから文句はいえない。メディアの淘汰の波に、すぐれた役者たちが生き残れることを願うばかりだ。

 

 

パンドラの果実

 

こちらは最初から、海外市場と配信をあてこんだ作りになっているのだろう。第九話は荒ぶるおディーンのアクション・ドラマとして振り切れているが、悪役のひとりがサイボーグっぽくてやたら強く苦戦している。あまり他のふたりの出番はない。

無敵遺伝子と不老ウイルスをナノロボットで制御するもくろみらしいが、マッドサイエンティストのやることなので整合性を問うてもしょうがない。

 

 

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ビオランテは、沢口靖子の遺伝子とゴジラ細胞を結合させたら誕生してしまった。長澤まさみウルトラマンで巨大化したことだし、浜辺美波はライダーでバッタと融合するだろうか。