大刀王五

大刀王五 (1985)

ビリビリ全編

youtube吹き替え字幕版 あいにく画質が悪く、夜の闘いの場面が真っ暗だ。

 

大刀王五は前回記事に出た義和団の、ちょっとまえの時期を舞台にしている。

王五は実在人物で、武侠として鏢局つまり護衛会社を営んでいた。百斤(60kg)の大刀をあやつったことからついた異名だという。黄飛鴻霍元甲と同時代人で、ことに後者とは親しかったとされる。維基王五

 

映画は冒頭に光緒24年(1898)と記される。王五は一門を連れて大師父の馬芬のモスクを訪ねる。馬は回族に多い名前だ。この作品で王五はムスリムということになっていて、頭にはターバンを被っている。

百度や維基に王五が回族だったとの記述はないが、この記事によれば師父の李鳳剛が回民で入門のため改宗したとある。また複数の記事で漢族と回族のあいだで争闘が起きたさい、仲裁に入って感謝されたと書かれている。

 

馬芬や王五はモスクを拠点に反清活動をおこなっていた。

かつてムスリムは元の時代に色目人として地位が高かったが、明代に回族として再編され清朝では底辺に追いやられていた。このため反乱や太平天国などのさいには、つねに戦いの一翼を担っていた。

 

馬芬との会談で王五は反清のためにはムスリムの団結にたよるだけでなく、非回族とも手を組まなければならないと訴える。王五一門の少女役の戈春艶はヒジャーブを脱いで、自分も元はムスリムではないが一家を滅ぼされ復讐のため姿を変えていると打ち明ける。

 

 

大師父の同意をえた王五は、人材を求めて武術試合を開く。しかし会場で清に寝返った元兄弟子の妨害をうけ、騒乱がはじまる。死者も出て王五は追及されるが、危難を救ったのはかつての弟子で現在は改革派リーダーのひとり譚嗣同だった。

 

アヘン戦争敗北、太平天国をへて国力の衰えを悟った清は1860年代に洋務運動を開始する。いったんは近代化政策で盛りかえしたが、1895年甲午戦争(日清戦争)で敗北してさらに危機におちいる。

これに対し立憲君主制への転換で近代化をさらに進めようとしたのが康有為、梁啓超ら変法派だった。光緒の賛同をえて改革は発動される。

 

譚嗣同は王五に自説を説き協力をもとめるが、すでにこのとき保守派の巻き返しがはじまっていた。西太后は光緒を捕らえ廃位しようとする。

譚嗣同の依頼をうけた王五は一門を率いて、幽閉された光緒の奪還のため宮城に侵入する。しかし気づかれて企図は失敗におわる。進行するクーデターに康有為らは日本に亡命をもとめたが、譚嗣同は身を犠牲にして民衆の覚醒を待つ覚悟で捕縛される。

 

 

 

譚嗣同奪還のため獄を襲撃して失敗した王五たちは、最後の機会と処刑に引き出される譚嗣同を救出しようとする。刑場まえのムスリム料理店が根城になる。しかし多くの犠牲をだしながらそれもかなわず、斬首は執行されてしまう。

結尾は生き残った王五一門が奪いかえした譚嗣同の亡骸を、故郷に送りかえす場面で終わっている。

 

実在の王五はこののち一年後の義和団の乱に参加し、八国連合軍に捕らえられて銃殺されている。さらされた首は、霍元甲が盗みだして葬ったともいわれる。

 

大刀王五は数多く映像化されている。1973年には陳觀泰が主演の大刀王五が製作された。岳華が譚嗣同を演じている。