アトム エルピス

アトム

 

 

機関車トーマスは一昨年まで3DCGアニメで製作されていた。ちょっと見ただけでは、どちらがもともとのミニチュア・モデルでどちらがCGかを言い当てるのはむずかしい。はじまりは絵本で1984年から2008年までは実写だった。

1984年といえば、マーティが1955年のドクに「いいものはみな日本製だよ」と教えたあたりだ。このころから英国製の工具の品質が、日本製を上回るようになってきた。

 

それからまた年月がたち、ミニチュアやジオラマの製作過程を支えた人間や視聴者層は総入れ替えになった。先進資本主義国の産業構造が転換した結果だ。モノ作りなど後進国にまかせて、著作権や特許や高級ブランドで食っていける。実物やおもちゃの機関車への呪物信仰は、もう薄いのだろう。

 

アトムの童はこの転換が主題だといえる。舞台は葛飾区立石で、柴又や亀有がお隣の下町だ。戦後すぐは、つげ義春のマンガに描かれたような零細工場の悲惨や売血で知られていた。

そこから高度成長をへて江戸川と中川の水利を生かして町工場が林立し、玩具のトミーやタカラの本拠となった。そこにも波風が立ってキャラクター玩具作りではやっていけなくなり、ふたつの会社は合併してタカラトミーとして生き残ろうとしている。京都の花札屋が世界的ゲーム会社に変身したような成功は、まだ見込めないようだ

 

アトムの童の町工場は、そんな巨人たちとは比べられないささやかな存在だ。それでも世間の波に流されて、団子屋がグルメ通販サイトに転身するような飛躍をしようとしている。

そこのところが、この二回の脚本演出はあまりうまく描けていない。下町の人情、職住隣接の家内工業、土下座、金型が命、それらと最先端のソフト作りが十分かみあっていない。

ゲーム制作の絵が足りないことは前にも書いたが、下町の空気感もまだ不足しているだろう。

 

 

エルピス

 

目がきれいなゴードン

 

第三話を見ると、渡辺あやはハードボイルドが書きたいのかとも思った。長澤がタフな探偵でゴードンが助手だ。緊迫感にみちたよくできた回だった。

しかし冤罪事件報道の企画は座礁し、落ちこんだ探偵は飲んだくれる。そこに元恋人がやってきて、ふたりは体を重ねる。

ハードボイルド探偵には困難なとき癒してくれたり、「いいことしたね」とほめてくれる異性が必要だ。批評的精神からは「都合のいい女」と呼ばれるような存在だが、このドラマでは男がそれをやっている。性欲を満たした長澤は次の朝には立ち直って、颯爽と反撃にむかう。

 

と思ったのだが、ネットを見ると長澤は男が権力の手先であることを知っていて、相手をあざむくためすり寄ってみせたという(多分女性の)考察があった。ハニートラップをかけて、ついでに性欲も満たしたということらしい。

 

たしかにこの一連の場面には、違和感を生じさせる点があった。酔いつぶれた長澤は元恋人の前で嘔吐して、それから体をもとめる。きれいな交情シーンなどではない。男は猿だからで説明がつくが、女は吐いたあとそんな気分になるものだろうか。