メトロポリス (1927) カラー版のロボットマリア。スターウォーズが模倣している。造型や合成の完成度は100年の時を感じさせない。白黒英西字幕版 カラー英字幕版 カラー日本語字幕版
1918年第一次大戦で敗北したのちも、ドイツの科学技術水準は高かった。1871年にプロイセンによってドイツ統一されるまでのあいだ、ドイツは宗教改革を通じ読書教育に力を入れつづけたためでもある。後発資本主義国ながら英仏にくらべ識字率が高く、多くの科学者を輩出した。
戦後混乱期をへて1924年から29年までは黄金の20年代と呼ばれ、米国を主とした外資の流入で好景気が到来した。それも世界大恐慌によって一転し、ナチスの台頭を生むにいたるのだが。
フリッツ・ラングは渡米してマンハッタンを目の当たりにし、未来都市のイメージを着想した。製作場面 特殊効果
華やかなのは支配層と上級国民の居住区で、富を生み出す社畜は地下で暮らしていた。
トータルリコールの火星にも残響を感じられる。
オープニング場面。羊のように家と工場を往復する。
マリア誕生。フィフス・エレメントの祖型だ。マリアの変身
反乱を抑えるため支配者は労働者階級の娘マリアをモデルにロボットを作り、下級民を分断しようとする。
主演のブリギッテ・ヘルムは、プラスティック製の鎧を着せられた。
後世の手本となる先進的な視覚技術を開発しながら、ナチス支配が目の前だったのに物語は労働者と支配者が握手しておわる時代錯誤なものだった。
これはこの作品の脚本家で監督フリッツ・ラングの妻であり後にナチス党員となる、テア・フォン・ハルボウの影響だともいわれる。ヒトラーもメトロポリスのファンだったとされる。
ハルボウは多産で才能豊かな作家で、ドイツ時代のラングの代表作であるドクトル・マブゼ、ニーベルンゲン、Mはハルボウの脚本だ。
インドの墓
ハルボウの脚本によるインドの墓は1921年、38年、59年に映画化され、59年版は大いなる神秘として日本で初公開された。
1921年版セット。背景のゴープラムもドイツ製。
1938年版ポスター。
1959年版。ハルボウ死後、元夫のラングが監督した。デブラ・パジェットの蛇踊りで記憶される。
ベルリンのインド人
ハルボウとラングの離婚はナチス政権が成立した1933年だが、直接の理由はハルボウが17才年下のインド人 Ayi Tendulkar と関係をもったからだった。
テーンドゥルカルは現カルナータカ州Belgaum近郊のBelgundi村出身で、とびぬけた秀才だった。エコール・ノルマル・シュペリウール、ゲッティンゲン大学で学びガーンディーのアシュラムにも参加していた。ベルリンではインド関係の左翼記事を多数執筆した。
ナチス下でインド人との婚姻は認められなかったのでハルボウとは秘密結婚した。1939年にドイツを離れ故国では会議派として独立運動を担い投獄された。脚本家、俳優の肩書もあるが、記録では不明だ。
ハルボウは戦時中大政翼賛映画を量産した。
娘のLaxmi Tendulkar Dhaulによる、ハルボウとの関係を書いた In the Shadow of Freedom: Three Lives in Hitler's Berlin and Gandhi's India がある。書評
戦後のハルボウの部屋にはテーンドゥルカル、ガーンディー、ヒトラーの写真が飾られていたとある。
テーンドゥルカルとハルボウ。