グランドバザールにあるタブリーズ絨毯の市場
タブリーズはイラン北西部に位置する東アーザルバーイジャーン州の古都だ。住人はアゼリー語とペルシア語の二重話者で、アゼリーは地元ではトゥルクと呼ばれテュルク系言語にあたる。アーリヤという語に劣情をもよおす西洋人がいるので歴史的イランをイーラーンとしておくが、イーラーンとテュルクの混交がイランを形成してきた。
歴史はハカーマニシュ朝からさらにエラム王国までさかのぼれる。たび重なる侵略や地震にさらされ遺跡はとぼしいが、中央アジア、西欧、西アジアを結ぶ交易の要所でありつづけた。イブン・バットゥータやマルコ・ポーロもタブリーズの富裕を記録している。
13世紀セルジューク朝トルコの法学者に回心をもたらし、ペルシア語最大のスーフィー詩人ルーミーに変えたのはタブリーズのシャムスだった。何かしら清新な風を吹きこむところがあったのだろう。
市の繁栄の象徴は世界最大の屋根付きバーザールといわれるグランドバザールで、イスラーム建築様式を受け継いだ煉瓦作りのアーチとドームがつらなる回廊がすてきだ。
開口のあるドームは古代の最先端をゆく採光システムで、通気や衛生も確保されている。衣料、食料など市場は分かれていて、タブリーズ絨毯が有名だ。
面積は1平方kmあり、似た構造の大須商店街複合地域の4倍におよぶ。内部には隊商宿、モスク、学校、温泉をそなえていた。一階は店舗で二階が倉庫、さらに上には宿舎や休養施設があった。
14世紀建築のArg(アーク)からはじまり市内を散歩する。テヘランで時にみかける素頭の女性はあまりいない。テヘランのような崩した着用も少ない。頭からかぶる黒のアバーヤ عبایه の年配者が目立つ。街はテヘランより緑が豊かだ。
夏の夜を広場や通りで涼む市民たち。イランの国柄として夏は暑く冬は寒い。地下にはモールが展開している。
200万都市にメトロは1本だ。
19世紀からの歴史しかないテヘランにくらべ、タブリーズはもっとも重要な都市でありつづけた。イランもまた西欧列強による植民地化の危機があったが、遊牧民支配王朝は有効な対応ができなかった。
それに対し町人の手で20世紀初頭の立憲革命がもたらされ、変革への道がひらかれた。その主役がバーザールや交易をになった商人階級であり、お膝元がタブリーズだった。1979年の革命でもバーザールは重要な役割をはたしている。
市は西欧やロシアからもたらされる近代思想や技術の窓口だった。出版社、映画館、図書館などイラン初の設立はこの町だった。今日のタブリーズは工業都市でもある。
立憲革命はロシア民主革命とも連動し、レーニンは決起した民衆をプガチョフの乱にたとえて称賛したという。