リーマー・ハーン

 

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アンジュマン、ナーディラーの後を継いだ90年代の踊り手はサーイマ・ヌール、ナルギース、リーマー・ハーンだった。

サーイマはパンジャービー映画のトップ、ナルギースはステージ・ドラマの女王となったが、リーマーはパーキスターンを代表する国際的な顔でありもっとも高い社会的地位を得ただろう。

 

サーイマとは1998年の King Maker で文字通り no.1 no.1 hai mera を競っている。せっかくのバトルなのに観衆がいないのがさびしい。

 

靴履きはリーマーの特徴で、サイズの問題だろう。三人のなかではいちばん小柄だ。1995年Madam Rani の main cheez badi hoon mast では、裸足のナルギースに対しそれほど遅れをとらずステップを張りあっている。

ここのコメント欄はナルギースとの優劣の比較だけでなく、曲がパーキスターン・インドどちらの所属かでも論争がさかんだ。おおもとは偉大なヌスラットなのだが、巴印それぞれでなんども流用されているのが真相だ。

 

 

デビューは Bulandi (1990 パンジャービー)で、靴履きで器用にインド風ステップを踏んでいる。

 90年代のリーマーは非パンジャービー的モデル体型ということもあり、マードゥリーやアイシュワルヤーの対抗馬として認定されていた。出た映画や踊りの曲、振付もマードゥリーっぽい。

usne aik rupaiya deke (Beta 1994 ウルドゥ)

danay pe dana (Munda Bigra Jaye 1995 ウルドゥ)

sholay bharktay hain taan main (Jisay Day Moula 1998 ウルドゥ)

 

マードゥリーともろかぶりのナンバーもある。

allah allah mera dil dharkay (Beqaboo 1996 ウルドゥ)

これは noorani chehray wale (Yaraana 1995) だが、その元もあったと思う。

mera piya ghar aaya (Maamla Gar Bar Hay 1996 ウルドゥ)

これも Yaraana だが、さらに元はヌスラットでアンジュマンも以前使用している。

つまりリーマーは、パーキスターンのマードゥリーの地位だったということ。かつて「マードゥリーをくれたらカシュミールをやる!」というチャントまであった国だ。あのとき交換していたらいまの紛争はなかったろう。

 

jawani deewani ke hazaroon (Pehchan 2000 ウルドゥ)

instrumental classical (Khuda Qasam 2002 ウルドゥ)

すばらしい。男はプロのカッタク・ダンサーだろう。

uchayan majana wali (Kaun Banay Ga Karorpati 2002 ウルドゥ)

インドでこの年はじまったクイズ・ミリオネアを早速いただいた。

giddha (Shararat 2003 ウルドゥ)

ちゃんとしたセットと世界観のある振付が組めるようになっている。

 

ここでは紹介しなかったがリーマー・ダンスはほとんどインド風のラブシーンの代行としてのダンスで、あまり面白いものではない。男がダンスに介入しなかったパルダー時代とは様変わりしている。

以上、ウルドゥ映画ではあるが製作はラーホールで、パンジャービー映画界最後の残り火といえる。こののちリーマーは引退し、カラーチーへの資本、映画人の大移動がはじまる。

 

1999年にニュージャージーのアトランティック・シティーで巴印親善コンサートがあり、リーマーはヴァイジャンティマーラーのヒットをヴァイジュ本人の前で踊った。客席には Jewel Thief のデーヴ・アーナンドやニュージャージー在住のパドミニの顔が見える。リーマーの英語は達者で、ムルターンのミッション卒業との説がある。

Reema Khan paid tribute to Legendary Vyjayanthi Mala

 

別のコンサートでの古典実演

Reema Khan's Classical Performance on Laage Na Ye Dil

 

Pakistan Film Magazine