2021-10-01から1ヶ月間の記事一覧

ムガルの制海権

ムガルの版図:1561年、1605年、1687年 アクバルがイエズス会神父に接見(1580年)したのは元からの習合主義的な宗教姿勢と同時に、ポルトガルの実体を知りたかったからだろう。 1573年にグジャラートを制圧するまでは、ムガルは内陸国だった。アクバルはバ…

アクバルの肖像

アクバルというと「偉大なムガル」でのプリトヴィーラージ・カプールのいかめしい表情や、南アジアふうの濃い顔をまず思い起こしてしまう。実際は東ユーラシア的に薄い顔立ちだった。映画の鏡の間もシャージャハーン時代のものだ。 イエズス会神父のモンセラ…

バッチャ・バーズィー

首塚記事のヴェレシュチャーギンが描いた中央アジアシリーズの中に、バッチャ・バーズィーの肖像画があった。寵童と訳したが、ペルシア語そのままなら稚児遊びのほうがいい。侵略軍の従軍画家ヴェレシュチャーギンは、バッチャの魅力をとらえている。 19世紀…

ヴィジャヤナガルの玉蜀黍

ヴィジャヤナガル王国誌の最初のほうに、「土地には大量の米と玉蜀黍、穀物、豆が育ち、ポルトガルでは栽培されることのない種類の作物もあり、また綿も限りなくみられる。」とある。 報告者はDomingo Paisで、1520-1522年のあいだ現地に滞在したと推定され…

首塚

これは帝政ロシアの画家ヴァスィーリー・ヴェレシュチャーギンの作品で、戦争礼賛と題されている。この風習はチンギス・ハンが大々的に始めて、ティムールからムガルのバーブルまで祖法として受け継がれた。一辺および高さ20の三角錐とすれば、1300以上の首…