2023-09-01から1ヶ月間の記事一覧

ワリエワ、トゥルソワ近況

www.bilibili.com ロシア代表テストスケート・ショート (9月16日) ワリエワはすっかりたくましくなって、今シーズンのショートを披露した。網膜手術をして練習できないまま臨んだのだが、滑りのよさはあいかわらずだ。挑発的メイクと演技で、北京のときの追…

モホンジョーダローを見に来て

Ek Gnah Aur Sahi (1975 ウルドゥー) Ek Gnah Aur Sahi 「もうひとつの罪」については、すでに記事にしている。サビーハ、ラーニー、モハマド・アリーによる二代にわたる大メロドラマとして、パーキスターン映画でも出色であり公開時はスーパーヒットとなっ…

ウルドゥ映画とパンジャービー映画

Ek Gunah Aur Sahi (1975 ウルドゥ) Basheera (1972 パンジャービー) パーキスターン映画ではウルドゥ、パンジャービー、パシュトーが主要言語となっているが、これは製作地を反映していたわけではない。20世紀末まではラーホールが、独占的な映画生産現場だ…

ラーホールのカッタク王

Waadah (1957)のサビーハとアーシク・フサイン 前回記事のnain se nain milaye rakhnay koでサビーハと踊っていたプロのダンサーは、アーシク・フサインだった。 フサインはバナラシ派カッタクの第一人者として、独立前からカッタク王nritya samratの盛名を…

パーキスターン映画盛衰史(4) 50年代

サビーハ・ハーナム Waadah (1957 ウルドゥ) サビーハ・ハーナムは1950年のBeliでデビューし、同年二作目のDo Aansoがパーキスターン初の大ヒット映画となった。50年代を通じヒットを生み出し、Gumnaam (1954)、Sassi (同)、Saat Laakh (1957)、Waadah (同)…

パーキスターン映画盛衰史(3)

Dupatta (1952 ウルドゥ) 1950年代はサビーハ・ハーナムの時代であると同時に、1952年にDupattaで銀幕復帰し59年歌手専業になるまで演技をつづけたヌールジャハーンによって彩られている。またこの時期に、ニーロー、Musarrat Nazir 、Shamim Ara など新世…

パーキスターン映画盛衰史(2)

Ishq-e-Laila (1957 ウルドゥ) のサビーハ・ハーナム。ライラ・マジュヌー伝説の映画化。 維基、油管、愚誤郎がなければこのブログは成立しない。最近は百度や哔哩哔哩も控えにいるが、まだ力不足だ。だがパーキスターン映画のこととなるとPFM 、Paksitan Fi…

パーキスターン映画盛衰史(1)

Teri Yaad (1948 ウルドゥ) Teri Yaad はパーキスターン建国後はじめて生まれた映画だ。ウルドゥ映画だがパンジャーブ州ラーホールで製作された。そこにしか撮影所がなかったからであり、のちのウルドゥ映画でもカラーチーでなくラーホール製作のものがほと…

タシュクルガンの歌

パ中国境のフンジュラーブ峠を越えてパミール高原を北上すると、カシュガルにいたるカラコルムハイウェイ途上に石頭城址がある。赤印がそれで、ここは大唐西域記の朅盤陀国首府だった。現在はタシュクルガン・タジク自治県で、新疆のカシュガル地区に属して…

パーキスターン北部バイク行

アブラール・バーイーことWildLens by Abrarのup主が掲載したカラーシュ谷の映像は、2年前のパーキスターン車行S2.EP27にあたっていた。このツアーは北部をめぐるもので、いろいろと興味深い地をたずねている。 EP10とEP11ではカラコルムハイウェイを使った…

KaaVaaLaa

ラジニ新作Jailerのタマンナーの踊りKaaVaaLaaが気に入っていたのだが、これまではさわりの映像しかネットに上がっていなかった。それでもあっという間にミームが生まれて、本家より視聴数が多くなったりしていた。 www.youtube.com しかし昨日やっと全貌が…

カラーシュの谷の羽根付帽子

カラーシュの人々が住むのはパーキスターン北部、ハイバルパフトゥンフワ州のアフガーニスターンに接する谷あいだ。男たちは平たいパシュトゥーン帽Pakolをかぶるが、女たちは祭の日に羽根付帽子を着用する。パーキスターンではおそらくここだけの習俗だ。 w…

あれが... ゴジラ?

ゴジラ新作であるマイナスゴジラの新しい予告編が出た。浜辺美波はカメオでなく本格的出演のようだ。といってもT-Rex文化祭のように、手を引かれて逃げまわるだけだろうが。 しかしそれでいい。モンスターとのプロレスなどでなく、ひたすら街を破壊し人々を…

パンナー

パンナー はパティアーラーの宮廷顧問の娘で、分離とともにカラーチーへ移った。5才からカッタクを学び、Panna の名で子役として映画界に入りまた舞踊家として王侯貴顕の前で表演するようになった。映画ダンスと古典舞踊を結ぶ数少ないひとりだ。 しかし映画…

アーリヤー 追加

アーリヤーはすでに紹介しているが、パーキスターン有数の踊り手なのに映像の少ないのが残念なことだった。母親が映画製作者で子役からスタートしている。映画ダンスのスクールで技を身につけたのだろう。 Hashu Khan (1972 パンジャービー) www.youtube.com…