2024-03-01から1ヶ月間の記事一覧
太平洋戦争での日本の最大範囲 都市空襲を阻止するための6月ミッドウェー攻略失敗が、戦争の転換点となった。しかしまだ連合軍には空爆を続ける力はなかった。次にソロモン諸島ガダルカナル島の攻防が焦点となり長期戦が翌年2月まで戦われた。 昭和17年(1942)…
妖絃怪猫伝(1938) 昭和17年(1942) 7月15日、町会の役員が来て防空用古樽金7円、むしろ一枚4円づつを取りに来る。 高価驚くべし。 7月16日、この日税務署の通知を見ると本年はまた去年よりも多く一回分623円40銭、一年分で金2490円60銭となる。わたしの実収の…
1941年暮れから1942年5月までの東部戦線。ドイツ軍は進撃から一転して後退を重ねたが、まだ夏に反攻する力は残っていた。 昭和17年(1942) 4月7日、魚類品切れとなり今明日銀座通辺の日本料理屋は休業の貼り札を出した。 4月11日、近ごろの茶の湯の流行は日本…
シンガポール陥落時スィク教徒捕虜を銃殺。 昭和17年(1942) 1月1日、旧暦の暦を売ることを禁じられたので本年からわれわれは太陰暦の晦朔四季の節を知ることが出来なくなった。昨夜は月がやや丸かったのを見たので今日は十一月でなければ十二月の十三四日に…
能年が監督編集した、一週間前に発表されたMVがいい出来だ。映像作りの技術をすっかり身につけたようだ。 能年と加藤千尋のカップルを死神が見守る、わけではなくて能年が表紙をつとめた又吉エッセイのアンサーソングになっている。能年はさかなのこのように…
昭和16年(1941) 10月2日、風呂桶屋来る。新しい風呂桶は130円であるという。 10月3日、銀座教文館で倉払いの古本を陳列即売すると聞いたので午後行ってみる。買うべきものなし。電車で浅草に行く。観音堂の横手銀杏の樹の下に露店商人が馬鈴薯を見事に細く切…
独ソ戦の推移(7月から12月) 昭和16年(1941) 7月2日、午後大塚という怪しげな女が電話をかけてくる。今年正月五六日ころだったと思う。かねてから知っている派出婦なにがしの紹介で夜九時ころはじめて訪ねてきた女である。自分で語るところによればひと月10…
www.youtube.com イラン東部ケルマーン市のガンジャリ・ハーン建物群。サファヴィー朝のもので、エスファハーンのナクシュ・ジャハーンに似ている。内部はバーザール、ハマム、キャラヴァン・サライ、マドラサ、モスクを含む。 www.youtube.com イラン北部の…
www.youtube.com 今年もノウルーズがやってきた。 グランドバーザールに隣接したハフト・タン通りのにぎわい。人出がすごい。 www.youtube.com ゴレスターン宮殿近くの Parvaneh 金曜マーケット。 www.youtube.com ショッピングモールでのハージー・フィール…
独ソ開戦まえの欧州 昭和16年(1941) 4月4日、新橋橋上のビラにもう一押しだ我慢しろ南進だ南進だとあった。車夫の喧嘩のようだ。日本語の下賤を今は矯正する道がない。 4月9日、終日パーレーの万国史を読む。(実際の作者はナサニエル・ホーソーン)この書は…
何て読む? 昭和16年(1941) 1月1日、「風なく晴れてあたたかなり。炭もガスも乏しければ湯婆子を抱き寝床の中に一日をおくりぬ。昼は昨夜金兵衛の主人より貰いうけたる餅を焼き夕は麺麭と林檎とに飢えをしのぐ。思えば四畳半の女中部屋に自炊のくらしをなし…
www.youtube.com 清水港代参夢道中 (1940 日活 マキノ正博監督) 映画嫌いだった荷風は葛飾情話の上演を機に、あたらしい分野に関心をもちはじめる。浅草交響曲の映画化は実現しなかったが、のちになっても音楽映画左手の曲を構想している。 1940年当時どんな…
弥次喜多道中記 (1938 日活 マキノ正博監督) 昭和15年(1940) 11月1日、正午ちかく久保藤子という女が訪ねてくる。先月中蛎殻町にある怪しい周旋屋野口というものの一室で知り合いになったのである。その語るところを聞くと年は三十で三つになる娘がいる。三…
仲よし三国 昭和15年(1940) 9月3日、寺島町の知った家を訪ねて帰る。この里も昨日から昼遊びの客を入れない。市中のカフェーと同じく夕五時から窓を明け泊り客は朝八時かぎり追い返すことになったという。広小路の屋台店もこの夜は数えるばかりに少なくなっ…
ドイツ軍進路gif 昭和15年(1940) 5月1日、院長がわたしの自炊生活に過労のおそれがあるといってしきりに入院静養の必要を説く。浅草に行こうと思ったが院長の忠言を思い起こし銀座を過ぎてかえる。わたしが下女を雇わず単独自炊の生活を営み始めたのは一昨々…
昭和15年(1940) 1月6日、去年十一月の末から今日までほとんど雨がない。新聞の記事を見ると水道水切れのおそれがあるという。木炭米穀の不足についで飲料水の欠乏をみる。天罰恐るべしである。・・牛肉ヒレ本年から一人前につき15銭値上がりしたという。 ・…
1939年11月、仏蘭西の塹壕でくつろぐ英仏兵士。宣戦布告したものの戦闘しなかったので、この時期 Drôle de guerre 奇妙な戦争と呼ばれた。 昭和14年(1939) 10月4日、「庭の高樹に始めて百舌の声をきく。例年なれば晩秋の旦百舌の声をきくは勇ましく快きもの…
南北にハルハ川、下の横線がホルステン川。何もない土地だ。ハルハ東岸の日本軍第23師団は、ホルステン南岸から縦に30kmにわたって高地に拠った陣地を築いて展開していた。 昭和14年(1939) 8月3日、「午後谷中氏浅草より電話にて、この頃警察署にて余および…
これまでオーケストラ団員の物語が語られるなか、芦田の心は少しづつ溶かされていった。今回、男への告白で挫折の詳細があきらかになった。 それは天上的な芸道の苦悩というよりは、アスリートのつまづきのようなものだ。 音楽家の子として愛情に包まれた環…
ノモンハン ロシアではハルキンゴル(ハルハ川)の戦い 昭和14年(1939) 5月3日、「新橋にて電車を乗り換えんとするとき去冬玉の井にて知りたる女に逢う。この春より芝口の処女林というカフェーにはたらき居ると云う。赤坂田町の貸間に姉と二人にて住むなりと…
百人斬り競争とその処刑の記事 昭和14年(1939) 1月1日、「(玉の井に行く)広小路に出るに東側に並びたる飲食店の中にて唯一軒店をあけたる家あり。常に円タク運転手を顧客とする店なるがごとし。定食朝20銭。夜30銭という張り紙を出したり。 ・・夜半十二時…
浅草羽子板市 昭和13年(1938) 11月4日、「思い返せば浅草公園の興行物に興味を覚えそめしは、去年の十一月初にて、早くも満一年とはなれるなり。今年三月のころよりはほとんど毎日のようにオペラ館楽屋に往きある時は散歩の疲れを踊り子の部屋に休めしことも…
1940年までの日本軍占領地域 昭和13年(1938) 8月1日、「夜オペラ館に至りカフェージャポンの女給いち子とともにかえる。・・いち子わが家に宿す。」 8月5日、「またいち子と田原町電車停留場にて偶然邂逅す。・・いち子また一泊す。」 8月6日、「数日前より…
劇団民藝 銀座、墨東、浅草、オペラ館とつづいてきた荷風の遍歴は、葛飾情話の上演をもって頂に達しそれ以降は滞留と戦争の進行にともなう窮迫の道をたどっていく。情話そのものは文学的達成というよりパトロンの道楽に近いものだったが、そこから映画製作へ…
永井智子は歴史小説家永井路子の母にあたる。このブログ記事によると、永井路子は母智子と荷風は遠い縁戚だと発言している。 昭和13年(1938) 5月1日、夕方オペラ館に行きソプラノ眞弓明子の部屋で葛飾情話台詞の稽古をする。幕間に明子輝子よし美とともに出…
今回は主要メンバーが四国高松まで行く設定だったので、室内楽でも演じるかと思ったらそうはならなかった。 生徒たちに演奏を教えるだけだったが、この顔ぶれが出てこないと物足りない。 當真あみが芦田姉弟と西島のアシストで上達したヴァイオリンの腕を父…
新内流し 昭和13年(1938) 3月5日、浅草オペラ館に行き楽屋と舞台を撮影した。・・木村時子の部屋に招かれて雑談に時をすごした。閉場間際に文芸部員淀橋小川の二氏俳優清水らとともに出てカフェージャポンで飲み、さらに牡蠣料理まるやという家に上がって一…
小芝の御台は妊娠してニコニコなのだが、裏では流産の薬とかお付きが裏切って新たな側室として登場とか宮廷ドラマらしくなってきた。しかしまだ韓国中国ドラマの洗練にはおよばない。 小芝はなんでもできるのだから 笑ったり 怒ったり 思いつめたり 空を飛ん…