荷風マイナス・ゼロ (51)

新内流し

 

昭和13年(1938)

 

3月5日、浅草オペラ館に行き楽屋と舞台を撮影した。・・木村時子の部屋に招かれて雑談に時をすごした。閉場間際に文芸部員淀橋小川の二氏俳優清水らとともに出てカフェージャポンで飲み、さらに牡蠣料理まるやという家に上がって一時まで笑談した。清水は酔って玉の井を散歩しようとすでに円タクを呼び止めた。一同やむをえず随伴して陋巷を見歩き再び車に乗って浅草に行って別れた。

3月7日、銀座で食事してから浅草オペラ館楽屋に行く。閉場の時刻を待ち俳優清水金一、女優西川千代美、文芸部員淀橋太郎その他二人とカフェージャポンに一酌し車で吉原角町の茶漬け店壽美禮に行って飲みまた食う。・・二時ごろ盃をおさめ廓内を歩き清水金一の借間に行く。京町二丁目裏通りからほど近い曲がり角で、下は何とかいう喫茶店だった。金一の妻は芸名を柴野治子といい、金一と同じ一座の踊り子である。この夜オペラ館で稽古があって今方帰って来たところだといって、すでに敷き延べた夜具を片寄せ茶をすすめる。とかくするうち弟子の踊り子がひとりまた帰って来る。借間の様子を見ると、二方に広い窓がある。人形写真絵葉書扇子などで室内はにぎやかに見える。・・三時ごろ外に出て、円タクで西川千代美を入谷の狭い横町の家に送る。千代美は老母と二人ぐらしだという。

3月8日、菅原氏から音楽家と芸人の事を聞く。浅草公園を背景にした小説の腹案がやや成ったような心地がする。

3月9日、菅原君依嘱のオペラ台本の腹案を試みたがついに出来なかった。

3月10日、薄暮浅草公園オペラ館楽屋に行く。閉場後西川千代美、その妹の踊り子絹子、文芸部の小川氏らと喫茶店中西で憩う。

3月11日、オペラ館の演技を看る。閉場後踊り子高杉千惠子石田文子の二人を連れ一同千束町のお好み焼き屋ます田に至る。午前二時家にかえる。この夜西川千代美柴野治子の二人に花環の代金を贈る。花環8円芝居表方心付けに2円計10円なり。幟一流3円表方心付け1円だという。

3月12日、ハトヤ茶店に入る。オペラ館舞踏振付佐城虹児がいる。談笑夜分に至る。

3月13日、夜オペラ館楽屋に行きヤジ屋の大谷という人が来るのを待つ。ヤジ屋と称するのは観客席から奇声を発し俳優の演技を声援するものをいう。5-6年前が最盛で今はややすたれたという。明治時代娘義太夫をひいきにした堂摺連のようなものである。大谷というのは本所三つ目あたりの鍛冶屋のせがれだという。この夜大谷に案内され文芸部長小川氏とともに弁天山の小料理屋丸留という家に行きその経歴談を聞いて夜半におよぶ。

3月16日、正午過ぎ銀座三越に行き晒木綿三反を購入する。万一国産品が制限される厄に備えるためである。

・・薄暮オペラ館楽屋を訪ねる。写真撮影。閉場後文芸部の淀橋氏女優竹久よし美とともに中西喫茶店で一茶してかえる。・・灯下歌劇台本葛飾情話執筆で暁に至る。

3月17日、中央公論社原稿料408円を送ってくる。女中の話稿料である。

3月19日、午後オペラ館で遊ぶ。カフェージャポンで一茶して夜半にかえる。灯下葛飾情話の稿成る。

3月20日、夜オペラ館楽屋を訪ね写真を写す。閉場の後小川丈夫竹久よし美とともに牡蠣鍋まるやに行って食事する。鍋は帆立て貝を用いていた。江戸趣味が喜ばしい。

3月21日、午後菅原明朗氏が訪ねてくる。オペラ台本葛飾情話を朗読して是正を請う。・・浅草オペラ館に行く。閉場後女優踊り子4-5人とともにハトヤ茶店に行き葛餅を喰らいさらに汁粉屋梅園に行く。帰宅の後葛飾情話を訂正浄書し菅原氏に郵送する。

3月24日、浅草公園今半で食事してのちオペラ館楽屋を訪ねる。女優数名と森永およびハトヤで茶を飲む。また文芸部員と国際劇場前蕎麦屋で飲む。

3月25日、銀座富士地下室で菅原氏に逢う。歌劇台本葛飾情話2-3か所訂正すべきところを指摘される。

3月28日、浅草オペラ館楽屋に行き女優踊り子とともに森永で食事する。夜半舞台稽古を見て4時に至る。・・女優西川姉妹を円タクで入谷の裏町に送り5時ちかく家に帰る。

3月30日、午後浅草公園中西喫茶店に行きオペラ館踊り子2-3人が来るのを待つ。幕間に隅田公園に行き写真を写す約束をしたからである。・・作者小川氏および踊り子らとともに丸留で夕飯を食べる。閉場後また一同とともにハトヤで少憩してかえる。

・・去年秋ごろから円タク賃金が高くなった。銀座四丁目からわが家まで7-80銭となった。

3月31日、読売新聞記者三宅正太郎来話。鎌倉菅原君より電話あり。銀座富士地下室で食事してともに浅草オペラ館に行く。文芸部員と会談し拙作歌劇葛飾情話上演を決定する。その期日は5月中旬になるだろうという。

(3月末国家総動員法成立、4月1日に公布された。)

 

4月1日、今朝の都および読売の2紙に拙作歌劇に関する記事が出た。

4月3日、今春丸善書店に注文していた洋書がことごとく輸入不許可と丸善から通知があった。戦禍憂うべきである。

夜浅草オペラ館に行き声楽家増田晃久永井智子らと中西喫茶店で会合して拙作歌劇のことについてともに論議する。

4月4日、午後2時オペラ館楽屋に行き踊り子3人とともに車に乗り銀座資生堂に入り午餐を取る。段四郎大辻司郎興行師川口某らがいた。踊り子は段四郎と言葉を交えたことを無上の光栄とする。4時浅草に帰る。女優西川千代美とともに丸屋で夕飯を食べて家に帰る。

4月5日、9時過ぎオペラ館楽屋に行く。閉場後踊り子の稽古を見る。淀橋小川の二氏女優西川らとともに支那蕎麦屋品芳楼で少憩して深更に帰る。

4月8日、菅原明朗より電話あり。ともにオペラ館に至る。葛飾情話作譜の一部を示される。閉場後踊り子4人を連れて銀座富士地下室に行って食事する。

この日第一書房から金200円入手。

4月9日、オペラ館楽屋に遊ぶ。閉場後淀橋太郎高杉智惠子その他4-5人とともに森永で飲む。智惠子の身の上話を聞く。

4月12日、銀座で食事したのち浅草オペラ館楽屋を訪ねる。

4月13日、オペラ館楽屋で川上典夫に逢い、閉場後中西で一茶しハトヤで少憩してかえる。

4月15日、11時ごろ浅草オペラ館に行き稽古を見る。稽古が終わったあと踊り子道子に誘われてその家に行く。千束町の通りから左手に吉原江戸二の非常門をのぞむあたりを反対に右に曲がった路地の奥で、榮きくというお好み焼き屋である。老母と14-5の妹がいた。四方の壁と鴨居にオペラ館はじめ浅草の芸人から贈られた額をかけ連ねている。みちこの本名は中村榮という。父はオペラ館大道具の職人だという。老母はもと廓にいたもののようだ。お榮はもと常盤座のサトウロクローの弟子だったという。

4月16日、午後からオペラ館楽屋踊り子の大部屋に行って遊ぶ。写真撮影。フィルム3本を費やしてなお足らぬほどだった。昼飯も晩飯もともに踊り子らと森永に行って食べる。夜半小川水守の二氏と柴崎町の酒舗つたやで飲んで暁に帰る。とちゅう再三巡査に職質される。

4月18日、日暮れて月あり。浅草オペラ館に行き小川氏踊り子らとともに森永で食事する。

4月20日、浅草オペラ館に行き踊り子の大部屋に入って雑談に時の過ぎるのを忘れる。閉場後踊り子の一群と森永で食事し、車で日本橋西仲通りの木村時子の営む喫茶店に至り、夜半過ぎ踊り子をそれぞれその家に送って帰る。この夜時子より奇談を耳にする。女優西川千代美の情夫菊池某がわたしと西川の関係を邪推し暴行するおそれありとの話であった。

4月22日、夜いつものようにオペラ館に行く。踊り子らを車で千束町山谷あたりに送るとちゅうに仲ノ町をすぎるさい、大引けすぎなので茶屋は戸を閉めていたが籬の八重桜は爛漫として咲きそろっていた。

4月23日、たそがれ菅原氏より電話があり銀座富士地下室で会いそれからオペラ館に至る。葛飾情話は来5月17日初日を出すことに決定する。夜半過ぎ踊り子らを車に乗せおのおのの家に送る。一人は象潟町富士横町、一人は玉姫稲荷、また一人は日限祖師堂のほとりである。いづれも江戸人情本の舞台である。

4月24日、正午菅原君の電話に呼び覚まされ急いでオペラ館に行く。月刊楽譜という雑誌に拙作歌劇の台本および登場俳優の写真を掲載しようという。菅原君は用事をすまして去る。わたしは踊り子の大部屋にとどまり昼飯は霞輝夫西川千代美とともにたぬき横町の洋食屋シャトルに、夕飯は丸屋に行って食べた。閉場後舞踏練習の終わるのを待って踊り子文子道子富子千惠子らとともに松竹座横の品芳楼に着けば、夜はすでに一時を過ぎていた。円タクに乗り道子を千束町の家に送ろうと仲の町を過ぎる。爛漫たる桜花の下に門付け3-4人が手風琴ギターを弾き流行歌を歌う。茶屋の二階には芸者4-5人が酔客を助けてこれを聞く。踊り子たちは興に乗って廓内を歩きたいというので、車をとめ、角町の路地裏にある壽美禮に行き茶漬け汁粉を食べる。おりから新内の流しが来たので酔月情話を語らせると、踊り子たち4人とも箸を置いてこれに聞き入るさまはその服装と相反してすこぶる奇観である。踊り子たちはいづれも20才前後で人生のいかなることにも溌溂とした興味を催せる。青春妙齢の力ほど尊く強いものはない。

4月25日、夜10時過ぎオペラ館に行き拙作歌劇背景図案を小川氏に渡す。帰途踊り子たちと柴崎町横の支那飯屋に少憩して帰る。

4月27日、午後浅草に行きシャトルで昼飯を食べる。それから夜2時までオペラ館にいた。明日が初日で総ざらいがあったからである。

4月28日、葛飾情話についての放送をオペラ館から依頼され久保田万太郎高橋邦氏に伝達する。二氏はともに放送局員だからである。

4月29日、灯ともしごろ浅草に行き森永で食事してオペラ館楽屋を訪ねる。ちょうどよく菅原君から葛飾情話楽譜の一部分が到着したので増田氏に頼んで閉場後その演奏を聴く。舞踏教授齋田氏文芸部長小川氏らもまた同じく聴く。一同いっしょにハトヤで一茶しさらに柴崎町の蔦屋で飲む。

4月30日、午後小川氏来話。夜浅草森永で食事しオペラ館に行く。閉場後竹久よし美小川氏らとともに再び森永で一酌する。