荷風マイナス・ゼロ (60)

1939年11月、仏蘭西塹壕でくつろぐ英仏兵士。宣戦布告したものの戦闘しなかったので、この時期 Drôle de guerre 奇妙な戦争と呼ばれた。

 

昭和14年(1939)

 

10月4日、「庭の高樹に始めて百舌の声をきく。例年なれば晩秋の旦百舌の声をきくは勇ましく快きものなれど、乱世にこれを聞けば、平和なりし波蘭土の田園に突如として轟きわたるナチス軍隊の喇叭のごとく思われて覚えず耳をおおいたき心地するなり。」

10月8日、「日曜日なれば隣家のラヂオ午後に至りて浪花節を語る。苦痛にたえず。」

10月11日、「頃日市中に豚肉鶏卵品切れとなる。浅草松喜の店先に豚肉当分品切れの札を出したり。」

10月12日、「岩波書店拙著売れ行き大略左のごとし 

おもかげ 第三刷一回 500部 165円也

文庫 腕くらべ 第四刷一回 2000部 80円也

同  おかめ笹 第三刷三回 1500部 60円也

同  珊瑚集  第一刷四回 1000部 20円也

同  雪解   第二刷二回 1500部 30円也 」

(戦中も荷風は人気作家だった。)

10月16日、「かきがら町叶家に立ち寄りしに、数日前夜十時頃近隣一帯に点検あり。私娼の出入りする待合七軒ほど客も女もともども現行犯にて引かれ行きたり。叶屋は幸いに無事なりしと。内儀の話している中、表の格子戸を明け制服の巡査入り来たり何やら内儀に耳打ちして去りぬ。後にて聞けばこの巡査は茶屋の組合より平生心付けを貰いし間諜なりと云う。」

10月17日、「三越洋書部に新着の仏蘭西書類ありと聞き赴き見る。数冊を購う。丸善には新刊の書籍ほとんど跡を断ちたるに三越に限り時々新書の輸入せらるるを見る。いかなる方法を取れるにや怪しむべし。」

10月18日、「本年は石炭欠乏のためガスの使用制限せらるべしとの風説あり。夕刊の新聞紙英仏連合軍戦い利あらざる由を報ず。憂愁禁ずべからず。

・・(踊り子たちと仲見世を歩く)世は移りわれは老い風俗は一変したれど、東京の町娘の浮きたる心のみむかしに変わらず。これまた我をして一味の哀愁を催さしむ。」

10月19日、「午後新宿を過ぐ。伊勢丹百貨店の聳ゆる四つ辻のあたり、行人織るがごとく、電車自動車立ちつづきて垣をなす。繁華殷昌の状況驚くべしと言わば言うを得べけれども、暫く立ち止まりてこれを視察すれば、何のためにぞろぞろ隊をなして歩みいるにや、推察しがたき人物のみなり。・・これらの人々は百貨店の内を徘徊し腰掛に休みて男は煙草をくゆらし、女は背負いたる赤子をおろして乳を飲ましむるもあり。そのあたりの茶店食堂をうかがい見るにみなアイスクリームを食い菓子を喫す。女は入り来たりて椅子に座するや思い出したるがごとく突然立って便所に行き、手を拭きながら席に返る。小児も大人と同じく珈琲を喫し菓子を食う。・・余常に思えり。アイスクリーム(それも人造クリーム)を食うは現代日本人の特徴なり。」(こういうイヤミなところが啄木に嫌われた。伊勢丹はいまもかわらない。)

10月21日、「帰途煙草屋にて刻み煙草白梅を購う。数月前より巻煙草おりおり品切れとなるのみならず、舶来煙草もまた売り切れになることしばしばなれば、震災前のごとく再び日本の刻み煙草を喫せむと思うに至りしなり。そのころ白梅の小袋10銭なりしが今は17銭となれり。現在三十代の若き男女にて刻み煙草の喫し方を知れるものはほとんど無し。」

10月23日、「戦地より帰隊せし兵卒が新聞記者の質問に答えて、帰還後目撃せし東京の市街および男女風俗等についていかに感じたるかを語りし記事を出したり。・・軍人の社会観察は進んで政治におよぶ。しかして一人のこれを怪しむものなし軍人参政の弊害もまた極まれりというべし。」

10月24日、「ガス会社の男来たりガスの使用量前年より二割がた節減すべしとて、一覧表のごときものを示して去れり。また今日より二十九日夜まで禁燈の令あり。・・ネオンサインの毒々しき燈火なければ街上物静かにて漫歩に適す。」

10月25日、「電車の運転一時間あまり中止と云うに、歩みて虎ノ門を過ぐ。空はくもりたれど薄明きこと黎明のごとく、街上車なく人影なく粛然として夢のごとし。食料品を小脇に抱え傘を杖にして巡査また在郷軍人らに見とがめられはせぬかとおそるおそる並木の陰を歩むさま、我ながら哀れなり。我が身はさながら征服せられたる他国人の世を忍びて生きつつあるがごとし。」

10月29日、「防空演習も今夜にて終わると云う。この数日間はラヂオの唄も騒がしからず車の響きも聞こえず。おりおり警笛砲声の聞こゆるのみにて、寂然として静まり返りたる市街のありさま何とはなく三四十年むかしの世の中のさま思い出されてなつかしき心地したりき。」

 

11月10日、「夕刊新聞に銀座裏通りジャーマン喫茶店妻もと女給仏国マルセイユにて間諜の嫌疑にて捕らえられし記事あり。独軍和蘭陀国境を侵す。」

11月13日、「岩波書店十一月勘定左のごとし

墨東奇譚 第五刷の三回 500部 150円

おかめ笹 第三刷 四回 2000部 80円

雪解   第二刷 三回 2000部 40円

〆金270円也」

11月14日、「炭屋の主人来たり炭品切れになるおそれあり。永年のお得意先ゆえ品切れにならぬうち土釜一俵だけ持って参りましたと言う。戦争の禍害いよいよ身近に迫り来たれり。」

11月15日、「蠣殻町の待合里美のかみさん訪い来たりて、近き中待合を止め何か外の商売をするつもりなりと言う。その訳をきくに、芳町組合に加入せる待合茶屋の中おもに素人女を周旋する家およそ十四五軒ありしが、九月ころより見番事務所にてこれら素人向けの待合をあくまで排斥することに相談をきめ見張りの番人を置くようになりしため十四五軒ともいづれも商売出来ぬようになりしと云う。里美のかみさん年三十五六ははじめ松戸高等女学校の体操の教師なりし由。八九年前私娼となり歌舞伎座裏のアパートに住み、築地赤坂下谷その他いたるところの待合または旅館に出入りし、だいぶ貯金をなし三四年前現在のところに待合を出せしなり。同人のはなしに烏森日本橋下谷池ノ端あたりの待合も私娼の出入りむづかしくなりたりと云う。余のつくりたる小説日かげの花はこれら私娼の生活の一面を描写せしものなれば、当時の風俗をしのぶ形見とはなれり。」

11月18日、「(病院で)院長のはなしによれば薬品もおいおい欠乏するもの多くなりたり。アスピリン重曹のごときものすでになしと云う。」

11月19日、「歌劇カルメン、トスカ、アイダのごときもの上演禁止になりしと云う。」

11月30日、「昼頃炭屋の男来たりいよいよ品切れとなりたれば炭団練炭を炭にまぜてお使いなされたしとて炭俵とともにそれらの物を運び来たれり。炭は土釜炭にて一俵の公定値段20円40銭なりと云う。さらば一俵につき運搬賃として別に1円を加えて支払うべし。それゆえ年内にニ三俵さがして持ち来たるべし。いづれも現金にて買うべしと云うに、炭屋よろこびその値段ならば二三日中に差し上げますとて帰りぬ。」

 

12月1日、「世の噂をきくに日本の全国にわたり本日より白米禁止となる由。わが家の米櫃は幸いにして白米の残りあり。今年中は白米を食うことを得べし。露軍芬蘭土に入る。」

12月2日、「銀座食堂にて晩飯を命ずるに半搗米の飯を出したり。あたりの客の様子を見るに、みな黙々としてこれを食い毫も不平不満の色をなさず。国民の柔順にして無気力なることむしろ驚くべし畢竟二月二十六日の軍人暴動の効果なるべし。」

12月7日、「人の噂には犬は米を喰うものなるがゆえに軍用犬をのぞき全国の飼い犬を殺せば幾十万石の米を節約し得べしとて、すでに八王子辺にては警察署が先に立ちて犬殺しを始めたりとの事なり。」(1940年には愛知県で節米運動の一環で犬肉販売許可。リンク先の帝国の犬達はおどろくべきブログだ。)

12月12日、「岩波書店十二月勘定左のごとし

腕くらべ 第四刷二回 2000部 80円也

珊瑚集  第二刷一回 1000部 20円也

計金100円也」

12月22日、「叶屋の紹介にてかきがら町日本橋区役所側のアパート秀明閣に至り野口という女を訪う。大正十三四年のころ麻布我善坊ケ谷の横町に生け花教授の札を下げ私娼の取り持ちを業とせしもの。ひさしぶりの奇遇にてたがいに一驚せり。滑稽というべし。

・・神田連雀町の飲食店伊勢源という家の二階に金箔の衝立ありて、木村荘八氏が団十郎暫の図に、暫の顔にも似たり飾り海老荷風という賛をなし南京陥落の日と書き添えてありと云う。世はさまざまにて余が偽筆をつくるものもありと見ゆ。」

12月24日、「浅草に往く。森永にて偶然花園歌女もと浅草芸人に逢う。谷中氏オペラ館の堺(駿二)来たる。常盤座踊り子数名また来る。谷中氏のはなしに九州熊本小倉あたりにては去月米屋打ちこわしの暴動起こりし由。ただし新聞にはそのこと記載せられざりしと云う。」