荷風マイナス・ゼロ (32)

Manishprabhune 亀戸天神藤棚

 

昭和11年(1936)

 

5月2日、銀座から亀戸に行き亀戸天神の藤棚を見る。浅草雷門に寄って仲見世を歩き、電車で帰る。

5月4日、京橋から浅草公園に行く。言問橋で休み、玉の井に寄り銀座に帰る。

5月11日、浅草の活動小屋の絵看板を見歩き、千束町から吉原遊郭を歩む。大門から乗合自動車で銀座に帰る。

5月16日、玉の井見物記事。「初めて玉の井の路地を歩みたりしは、昭和七年の正月堀切四つ木の放水路堤防を歩みし帰り道なり。その時には道不案内にてどの辺が一部やら二部(区画)やら方角さらにわからざりしが、先月来しばし散歩し備忘のために略図をつくり置きたり。」

路地内の小さな家は内に入って見ると、外から見るより案外清潔だった。場末の小待合と同じくらいの汚さだった。西洋寝台を置いた家が少なくない。二階へ水を引いた家もある。また浴室をもうけた家もある。

1時間5円を出せば女は客とともに入浴するという。ただしこれはもっとも高価な女で、並みは1時間3円、一寸の間は1円から2円までだ。

路地口におでん屋が多くある。ここに立ち寄って話を聞けば、どの家のなんという女はサービスがよいとかわるいとかいうことを知るのに便利だ。・・は生まれつき淫乱で若いお客は驚いて逃げ出す。・・は先月亀戸から来た女で、尺八専門だ。・・は泣く評判がある。・・は芸者風の美人で部屋に鏡を二枚かけ置き、のぞかせる仕掛けにしている。ただしのぞき料2円。

「警察にて検梅をなす日取りは、月曜日が一部。火曜日が二部。水曜日が三部という順序なり。検梅所は玉の井市場側昭和病院にて行う。入院患者たいてい百人以上あり。女の総数は千五六百人なり。入院料一日一円なり。女は抱えといわず出方さんという。東北の生まれの者多し。越後の女も多し。前借は三年にて千円が通り相場なり。半年位の短期にて二三百円の女も多し。

この土地にて店を出すには組合へ加入金千円を収め権利を買うなり。されど一時にまとまりたる大金を出して権利を買うよりも、毎日金三円づつを家主または権利所有の名義人に収めるほうが得策なり。寝台その他一切の雑作付きにて家賃の代わりに毎日三円づつを収めるなり。

毎日三円づつ出すというは家一軒の事にあらず。自前でかせぐ女が張店の窓一つを借る場合の事なり家の主人に毎日三円づつ渡し前借はせず自由にかせぐ事を得る規約ありという。」(荷風置屋のあるじになる計画をもつにいたる。)

5月17日、浅草三社の祭礼を見る。

5月19日、「今朝新聞に出でたる男殺しの噂とりどりなり。中野薬師の待合の亭主その情婦のために絞殺せられ陰茎を切り取られし事件なり。」(阿部定

5月20日玉の井に行くと稲荷神社の縁日で道路は夜店で歩けぬほどの人出だった。路地を歩いていると「先生」と声をかけられたが、数年前銀座で花売りをしていた男だった。広小路(浅草)で乗合自動車を待っていると「この度はおぢさんと呼びかくる十六七の女あれば誰ぞと見るに、これも銀座のカフェーに出入りする女芸人なり。銀座はこのごろ稼ぎが少なく、あぶれる事多ければ浅草より玉の井を歩むなり。家は南千住なりという。門付けには珍しき美人なれば祝儀一円を与えて来合わす乗合自動車に乗る。線路傍の空き地に猿芝居の小屋かかりて賑わえり。」銀座から新橋にもどり、知人から「昨日来新聞の紙面を賑わしたる男根切り取りの女」阿部定が品川で捕まったと教えられる。

5月22日、中央公論嶋中社長の手紙で随筆稿料1枚10円、小説12円と知らせてくる。

5月23日、中央公論社礼金370円入手。

5月25日、銀座の喫茶店で休もうとするが、文春砲暴露者の姿が見えたので新橋に行く。

5月26日、偏奇館地所買取の話が以前からあったが、1坪50円余総計5千円なら20年年賦なら買ったほうがいいと助言され買うことを決意する。(泉ガーデンあたりの地価は現在坪800万円くらい。ローン返済中に空襲で焼けて手放したようだ。そのまま所有なら8億円。)

5月30日、「晩間銀座に往き食料品を購い富士アイス店に一茶す。一隅の卓子に米国生まれの日本の女五六人英語にて語り合う。その傍らには、洋装断髪の女また三四名、巻煙草をふかし男のような語調にて活動写真の事を語り合えり。これ銀座の飲食店にては珍しき光景にはあらず。されど目のあたりこれを見れば、東京の生活の古き伝統は全く滅びたりとの感深からざるを得ざるなり。」