荷風マイナス・ゼロ (17)

モダンガール 断腸亭日記7月26日記事に荷風によるモガの挿絵がある。

 

昭和9年(1934)

5月6日、「両三日前より桃山と名る西洋刻み煙草の模造品専売局より売り出しの由。その値90銭との事なり。」

5月8日、丸善に注文した洋書が送られてくる。中に La Cinématographie 2円50銭とLa Musique Contemporaine en France 5円30銭がある。

5月9日、谷崎が春琴抄を送ってくる。

5月23日、夕方西銀座で夕食を摂り表通りを歩いていると「白鉢巻白襷黒紋付に袴をはきたる壮漢十四五名竹刀を打ち振り街上を練り行く。巡査も見ぬ振りして之を制せず。此の夜また街頭にて悲憤慷慨の演舌をなすものあり。さながら幕末の光景なり。」

5月27日、夕方銀座でなじみの女給に会い、浅草公園の鳥屋で夕食をする。散歩していると巡査が女給を捕らえて尋問しようとする。「百方弁疎。辛うじて逃れかえる。また一奇談なり。」

5月31日、八丁堀を散歩していると書道塾が看板を出していた。道路に面する戸を開放して、通行人に少年少女が文字を書くさまを見せていた。「幅二三尺長五六尺の大紙を板にはり、その下に精忠また至誠などいう文字を書きたる手本を挟み、生徒をしてこれをなぞりて書かしむるなり。生徒は懸腕直筆にて書するにあらず。紙の上に手を置き丁寧に下なる文字をなぞること提灯屋の如し。昭和現代の書法は此の如く変化したるものか。笑うべきなり。」

 

 

6月1日、茅場町の両替店で東電と郵船の端株を売った。

偏奇館の火災保険(内部什器とも)これまで2万5千円で年掛け金82円だったのが、この年から1万円で掛け金33円に変更。

6月4日、銀座通が雑踏していた。次の日が東郷大将国葬で学校官庁が休業するためだろうと推測。

6月5日、「此の日音楽停止、劇場戸を閉ず。」私娼小説ひかげの花脱稿。

6月16日、税務署から所得3千510円との通知があった。吉野俊彦によると収入と所得は別で、作家の場合収入の半額は経費扱いになる。実収入は所得の倍ということ。税務署の収入調査の手は行き届いていて、別日の記事で感嘆している。

 

7月4日、銀座で編み上げ靴を買う。23円。

7月12日、銀座で聞いた話として「デパート虫の事」と別稿記事にしている。それによると松屋三越松坂屋などにはダニの一種がいて、食われない店員はいないという。米国産の材木についた虫が広がったとの説もあるが、否定するものもいる。

7月14日、父親の金時計の売却を依頼していたが、金鎖代金78円28銭が送られてくる。

7月16日、同じく銀座の金商での金時計つぶし代金として132円35銭を受け取る。

7月17日、中央公論がひかげの花稿料1310円を送ってくる。

7月23日、特高刑事が三人きて、日本の神話という小冊子を寄贈されたかと問われた。送られてくる雑誌新聞のたぐいは封筒のまま竹かごに放りこんでいるのでわからない、かってに探してくれと小部屋に案内した。「しばらくして小冊子を持ち来たり、暫時拝借したしとて持ち去れり。」

7月24日、銀座で知人たちに会うと芥川氏追悼会の帰りだといった。(七回忌?)

7月25日、麻布の古老の話では乃木坂の両側には墓場があったので幽霊坂と呼ばれていた。田中角栄の旧目白御殿横の坂は、今でも幽霊坂

7月29日、新橋駅ガード下で客の奪い合いをする円タクの運転手たちが数十名検挙された。愛宕署と特別な関係のある顔役支配下の運転手は、その場で放免されたという。