荷風マイナス・ゼロ (25)

戦前の田園調布

 

昭和11年(1936)

1月1日、「社殿の格子に石板摺りの選挙粛正の紙を貼りたり。殺風景もまた甚だし。」

1925年からの男子普通選挙法では選挙違反の厳しい罰則が定められていたが、政友会民政党の縁故買収などの不正は止まなかった。5.15事件で政党主導議会は終わりをつげ、官僚軍人を頭にすえた挙国一致内閣の時代となった。1935年選挙から選挙粛正運動がはじめられたが、警察の横暴や選挙介入が横行し翼賛選挙への足がかりとなった。

「明治三十年より昭和十年まで四十年間にお仕置きになりしもの600余人なりと云う。」として死刑囚の名を抄録。

「野口男三郎(尻肉切り取り犯人) 幸徳秋水(抹消) 石井藤吉(大森砂風呂お孝殺し) 大米龍雲(鎌倉辺尼寺の尼僧を多く強姦せし悪僧) 山田憲(米商鈴辨を殺しトランクに入れ置きたる犯人) 難波大助(抹消) 吹上佐太郎 杉山憲太郎(国粋会会長木田陸軍少将の娘を強姦して殺したるもの)」

1月3日、銀座に往って焼き豚100匁30銭で買う。

1月5日、中央公論の招きで左團次、谷崎と座談会をする。「されどかくの如き文学営業のために招かれしなれば談話に興味来たらず」

1月10日、母方の伯母(鷲津家)が病没したとのことで車で田園調布に行く。「道の両側それより分かれて入る小路には今様の半洋風の住宅のみ立ちつづき、スレートの屋根赤き瓦屋根の櫛比するを見るのみ。南北に走る大通りの商店および電柱に田園調布二丁目としるしたるを見る。雑誌店牛肉屋西洋菓子屋などいかにも新しき時代の町らしく見ゆ。」

帰りは「門前数歩にして坂を上れば東横線渋谷行きの停車場あり。・・この電車は余の始めて乗る所。かつて震災後目黒より乗りし電車の線路とは別のものなるが如し。・・今日車窓より沿道の風景を見るも十年前の事を思い出すこと能わず。ただ日本人繁殖のはなはだしきに恐怖を覚えるのみ。」1932年に渋谷桜木町が全通し東横線と名付けられた。

1月23日、妾の口入を業とする女が訪ねてきた。八丁堀に玉突き場女主人がいて年は32、3才「月ぎめの給料三十円にて月に五六回出張サービスする」と紹介される。

口入屋は昨年末に姿をくらました女中の消息を知っていて、年は26才淀橋精華高等女学校卒で弟はメソジスト教会牧師。継母と折り合いが悪く浮き草稼業となり、家政婦または妾奉公をしている。おもに山の手あたりの家を歩き回っているとのこと。

1月24日、水天宮の待合に行き、先日そこで見かけた女を家政婦として給料2、30円で雇いたいと依頼する。さっそく呼んで身の上話を聞き、借金の返済金を与える。

1月25日、昨日の派出婦会の人間が来て金を与えた女が戻ってこないという。一杯くわされたようだと悟る。

1月26日、例の女から郵便為替で15円送ってくる。与えた額の半分。

1月27日、例の女の情報少し入る。6、7年前から私娼となり下回り役者を情夫にして女児を生んだ。銀座私娼の姉御分の手下になっていたこともあった。しかし金を半分返したのは不思議だ、「人の性は善なるものか。」と記す。

「午後丸の内の銀行に往く。町の角々に出したる選挙の貼り札を見るに、選挙粛正また報国の一票、また聖旨報答の一票などと大書したり。」

1月28日、出入りの骨董屋の息子が紫組と称する無頼漢の仲間になった。組の人間はみな白木綿の腹帯に白の半股引をはき九寸五分の匕首を紫の布に包んで所持し、銀鎖のお守りを肌につけている。昨11月ロシア人宅で下女が殺され、紫組の犯行と疑われた。骨董屋息子も検挙されたが、許されて親もとへ引き渡された。帰宅後息子は猫いらずを飲んだが一命をとりとめ、現在監視中だという。

1月30日、「つれづれなるあまり余が帰朝以来馴染みを重ねたる女を左に列挙すべし」として16人の名と履歴を書く。「この外臨時のもの挙ぐるにいとまあらず」。

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