荷風マイナス・ゼロ (27)

四つ木橋1932年

 

昭和11年(1936)

4月2日、銀座で古本市に寄ったあと放水路の景色が見たくなって、市電で南千住に行き京水自動車というのに乗り西新井橋に至った。堤防を歩くと堤の下に乗合自動車が走っているので見ると、北千住から川口に行く路線だった。しばらく歩くと、ここは二十数年前に友人と六阿弥陀に詣でた道であることを思い出した。雨が降ってきたので来た道をもどって帰った。

4月3日、昼食後、郊外に行こうと思った。上野から省線で川口に赴いた。新荒川橋から千住行の乗合自動車に乗った。放水路の北岸を走り領家という停留場を過ぎ、江北橋のほとりに着いた。15銭を払って降りると、道のほとりに西新井日暮里間を往復する乗合自動車停留場の札が立っていて茶屋が二三軒あった。大正三年に友人と六阿弥陀を巡拝したことがあったが、そのころはまだ荒川放水路は疎通していなかった。乗合が来たので再び乗ると千住の大橋に着いた。時間があるので京成電車に乗り、青砥を過ぎ金町の終点に至った。そこから四つ木行きの乗合に乗り中川らしい川を渡ると、電柱に亀有町の名を見た。四つ木橋のたもとで浅草行きに乗り換え、曳舟通り玉の井白髭明神を過ぎて雷門に到着した。地下鉄で銀座に六時半に着いた。

4月9日、午後三時ころ家を出て荒川堤戸田橋に至って見ようと、行き先が巣鴨で志村を通る乗合に乗車した。板橋宿の旧道らしく、女郎屋の建物が四五軒残っていた。新開の大道に出たので中山道大宮行きの車に乗り換え志村坂と呼ぶ坂を下った。見渡すかぎり水田のつづく平野となり風景が一変した。戸田橋の停留場で降りて、長橋を歩いた。下流に鉄道橋があり、汽車の煙が見えた。地図を見ると川口駅に至る鉄道だった。橋の下まで歩いて行き川口駅の道を人に聞くと、荒川橋の乗合停留場のほうが近いといわれた。そこに行って王子赤羽通いの乗合自動車を待った。橋のたもとにニ三軒の茶屋があった。赤羽から省線電車に乗り換え、銀座について時計を見ると七時半だった。

4月10日、「新聞の雑報には連日血腥きことばかりなり。」小学校教師が友人宅である女を見染め言い寄ったが、娘承知せず親元で掛け合って断られ警視庁に相談して思うようにいかなかった。ついに殺意を起こし劇薬短刀などをもち娘の家に乱入したが、娘は外出中で教師はその場で取り押さえられた。

「現代の日本人は自分の気に入らぬ事あり、また自分の思うようにならぬ事あれば、直に凶器を振るって人を殺しおのれも死する事を名誉とするが如し。過日陸軍省内にて中佐某のその上官を刺せしが如き事に公私の別あれどこれを要するにおのれの思う通りに行かぬを憤りしがためならずや。」

4月12日、四時ごろ銀座に出かけ電車で洲崎に行った。城東電車に乗り換え、境川に至った。いつものように乗合で葛西橋に行って、堤の上で憩った。南方に行く車を待ったが来ないので、境川にもどり千田橋から市電に乗って洲崎大門前に着いた。娼家の裏窓から娼妓二三人が掘割をへだてた広い埋め立て地を眺めていた。やがて銀座行きの乗合が来たので、これに乗って帰った。

4月13日、「この日の東京日日の夕刊を見るに、大阪のある波止場にて児童預り所に集まりたる日本人の小児、朝鮮人の小児が物を盗みたりとてこれを縛り、さかさに吊るして打ちたたきし後、布団に包みその上より大勢にて踏み殺したる記事あり。小児はいずれも十歳に至らざるものなり。しかるに彼等は警察署にて刑事がなす拷問の方法を知りて、これを実行するは如何なる故にや。また布団に包みて踏み殺す事は、江戸時代伝馬町の牢屋にて囚徒の間に行われたる事なり。これを今、昭和の小児の知り居るは如何なる故なるや。人間自然の残忍なる性情は古今ともにおのずから符合するものにや。怖るべし、怖るべし、嗚呼怖るべし。」

4月14日、「午前小品文放水路を草す。・・夕餉して後食料品を銀座に購い、玉ノ井を歩み四つ木橋より乗合自動車に乗りてかえる。」

4月16日、日本橋から乗合で砂町へ。葛西村行きに乗り換え終点の長島町に至る。「このあたり江戸川区と称すれども水田麦圃遠く海岸に達し、松並木うつくしき田舎道いく筋もあり。」乗掛海岸行きの乗合に乗る。終点の川岸に乗合ボートが往復しているので、今井行きの切符を買う。浦安の岸に沿い江戸川を上っていく。今井橋から城東電車で小松川を経て本所錦糸堀に至る。

4月19日、カラスが三四羽鳴いて西に飛んでいくのを見る。カラスの声を聞いたのは昭和五年の牛込で、平生これを聞くことはないので記して備忘とする。

4月21日、「晩餐後浅草より玉の井を歩む。やや陋巷迷路の形勢を知り得たり。しかれども未だ精通するに至らざるなり。」

4月23日、「是日書を馬場孤蝶君に送る。昨朝東京日日新聞の紙上に一葉女史碑文の事につきて所感を陳べられたる文をよみ、大いに我が意を得たる心地したればなり。」