荷風マイナス・ゼロ (19)

長征

 

昭和6年(1931)、柳条湖爆破事件と満州事変からはじまった帝国の将棋倒しは、国際的には孤立しても国内ではまだ致命的効果は見えず荷風のモダン銀座生活もつづいている。

それは蒋介石の国民政府が安内攘外を戦略として、共産党の討滅と国内安定を優先し日本と事をかまえようとしなかったからだった。東北では民衆蜂起とゲリラが継続していたものの、援軍はなく各個に撃破されていった。日本は抵抗する民衆を匪賊と呼び、討匪戦と称し多大な犠牲を強いた。軍部はさらに増長した。

 

共産党との戦いで国民党は華南の拠点を攻めあぐねていたが、1933年からの第五次包囲攻撃によって徐々に切り崩しが成功し1934年10月紅軍は瑞金ソヴィエトを放棄した。華北へと向かう長征のはじまりだった。延安にたどりつくのは翌年11月のこととなる。

 

昭和9年(1934)

10月2日、中央公論社嶋中社長が全集刊行の問い合わせをしてきた。「されど同社は近年あまりに俗受けを専らとする商法なれば当分見合わせたき趣返事す。」

10月5日、偏奇館のペンキ塗りかえがはじまる。銀座に行きオートミールをすする。隣の家で夜ピアノを弾き、「ラヂオの放送と相混じ喧噪甚だし。」

10月7日、腹具合がよくないので風月堂で肉汁とマカロニを食べる。この日から電車従業員またストライキをはじめる。電車バスともに夜10時で切り上げとなる。

10月9日、銀座からバスで浅草に行く。上野広小路浅草公園映画館は人出が絶えず、最近の銀座よりにぎやかだと記す。帰りは地下鉄に乗る。

10月11日、「この夏頃三十間堀(銀座通と昭和通の間を流れていた)の怪しげなる酒肆にゐたる女小松川平井町に家を持ちたればとて電話をかけ来たれり。夜な夜な酒肆より銀座に出でおもに松坂屋及び松屋のあたりにて通行人の袖を引き小金をためたるなり。」

10月13日、東京朝日新聞に寄稿した「断腸花」の稿料が届く。「其巨額なるに一驚を喫す。」

10月17日、銀座で注文していた外套を店員が持ってくる。117円。10年は着られるが、自分は六十六七まで生きられるかと自問する。

10月21日、松坂屋前の夜店古本屋で、リヨン市街写真帖を買う。1円。

10月25日、郵便局で税金を納める。

10月26日、市川左團次の例会で飲む。「此の頃楽屋にて噂の高きは中村福助慶應義塾卒業生某の中なりと云う。下回り女形役者の中には客に招かれて待合に行くものあり。枕金10円の由なり。尾上梅蝶市川寿美若などは既に老いて買う人少なく、若手によきもの多しと云う。」

10月27日、「是夜銀座通のところどころに私服刑事の佇立するを見る。街娼を捕らえんと欲するなるべし。」

 

11月1日、「松坂屋店頭に奥羽地方飢饉の写真数葉を掲ぐ。東京日日新聞社の撮影せしもの。けだし義捐金募集の金高を多からしめて以て社運の隆盛なるを世に誇らんとする一種の商策なるべし。」

11月2日、銀座で鰻を食べる。並1円、上1円50銭。

11月4日、銀座の茶店に入ったが慶応の学生たちが泥酔して出入りするので早々に帰る。銀座の景況は日を追って寂しくなり、.夜店も10時ころ仕舞になるありさまだった。

「銀座通の景気最盛なりしは昭和6年より翌7年軍人暴行の頃なりしが如し。酒館の繁栄したるもまたその頃にて、去年あたりよりにわかにさびれ出したり。」

11月6日、兜町の仲買店に行く。「増税問題起こりてより人心怯々、前途暗澹として方針を定め難しと云う。余窃に思うに、今回の増税天保改革の時幕府が蔵宿及び用達の富商に上納金を命じ、また江戸近郊に在りし幕府旗本の采地を返上せしめんとしたる政策に似たり。」天保の改革はなかばで挫折した。軍部は成功するだろうか。自分は筆禍をこうむらないことを願うのみだ、と記す。

銀座通りでは私立大学の制服を着た苦学生が、角々に立って奥羽飢饉救助義捐金の募集をしていた。これを避け裏通りを歩いて帰る。

11月7日、「数寄屋橋際に松田電燈店(東芝マツダビル)の建物この頃工事を終わり毎夜五色の電光を屋上の塔より放つ。行人驚賞して歩みを止めざるはなし。」戦後ゴジラに潰された。

11月8日、「此の日の新聞に謡曲蝉丸を歌うことその筋より禁止せられし記事あり。世の中いよいよ狭苦しくなりてやがて近松の時代浄瑠璃の大半も禁止せらるるに至るべし。」蝉丸は盲目の皇子で捨て子とされた。不敬とのことで自粛演目になった。

11月10日、日蓮上人全集が発禁となる。「武断政治の弊害追々顕著となる、恐るべし恐るべし。」

11月15日、松屋前で三十間堀のあやしい酒場にいた女給に会う。景気を聞くと、先月刑事を客とまちがえて引っぱってしまった。営業停止になるだろうからと先手を打って廃止届を出し、閉店前に大売出しをして一夜で180円売り上げた。女給には4割配当を出した。いったん散ったが年内には新しい店を出すので、その節はよろしく願いますと。

11月20日兜町に行き三菱重工株を受け取る。

11月21日、電車で亀戸に行く。亀戸天神の藤棚を見て裏門から芸者街を歩くと、いつのまにか私娼窟に出た。安全通路抜けられますなど書いた燈火が立つ光景は、向島玉の井と変わるところがなかった。乗合自動車を乗り継いで銀座に帰った。

11月22日、「血盟団と称する殺人団の犯人終身懲役の言い渡しあり。」正しくは最高が無期懲役で6年後に仮釈放となった。

11月26日、現代日本についてのフランス語書籍が、陸軍省通達で輸入禁止となった。「思想上の鎖国はいよいよ実行せらるるに至りしなり」