荷風マイナス・ゼロ (31)

 

昭和11年(1936)4月16日に、荷風は乗合自動車で日本橋から砂町に行った。そこで葛西村行きに乗り換え終点の長島町(現在江戸川2丁目)に至った。さらに乗掛海岸(?)行きに乗り北に向かい終点まで行ったとある。この記録はあやしいところがあり、着いたのはおそらく旧江戸川の妙見島らしいので実際は東行している。そこから「乗合のモーターボート」に乗った。対岸千葉の浦安は人家が多く工場の煙突が立っていたが、江戸川区側は風景がよかったとある。

旧江戸川は戦前は江戸川で、それをさかのぼって中川と別れる今井で下船している。

 

水路をゆくブログによると、妙見島経由で今井に行く船は城東汽船が30分ごと東京汽船が20分ごとに運航していた。

荷風は今井橋から私営の城東電車に乗って、小松川経由で錦糸堀に行きそこから銀座にもどった。

 

先のブログにある乗合蒸気船会社の昭和7年時刻表を見ると、6社のうち4社が隅田川を航路にしている。5分から15分ごとに出ているので、日常的な足として機能していたことがわかる。この隅田川船はかつては一区間1銭だったので、一銭蒸気の通称で呼ばれた。

東京汽船江東区の高橋を起点に小名木川から江戸川に向かい、浦安さらに延長して行徳まで人を運んでいた。

 

 

昭和8年市営バス路線図

日本橋から砂町へは浅草橋で乗り換えたようだ。

 

 

 

城東電車は一之江線、小松川線、砂町線とあり荷風は一之江線小松川線を乗り継いで錦糸堀に行った。小松川橋は電車通行できなかった。のち城東電車は市電に吸収された。

市電路線は都電に引き継がれたが、町名の変化はある。現在は三ノ輪早稲田間だけが残っている。