江戸マップ

 

この記事で知ったれきちず江戸マップが面白くて興奮している。

 

先頭にかかげた画像は、蒲田ゴジラが船を蹴散らして進撃した呑川の200年まえのすがただ。東海道と六郷用水がまじわるあたりが蒲田で、呑川は何本もある六郷用水のひとつだったことがわかる。洗足池を源にした小川と、今は痕跡しかない久が原あたりで分水した六郷用水とが合流して現在の呑川の流路ができあがった。

 

目黒川はほぼかわらないが、かつての北沢用水と烏山用水が池尻で合体してはじまるさまがしっかり描かれている。

 

野川は染地あたりで六郷川多摩川)から分水した用水と喜多見でつながり、その先は二子の渡しまでこれも六郷用水と呼ばれていた。

 

稲毛からはじまる二ケ領用水はいまは鹿島田でとぎれているが、かつては現川崎の六郷橋あたりまでつづいていた。

 

東部を見ると現在は西から隅田川、荒川、中川、江戸川の順で湾に注いでいるが、往古はいろいろと入れ替わった。この地図(1800-1840年あたり)では大川(隅田川)、中川、利根川のみ記されている。利根川はいまの江戸川を流れていた。

これらは治水のためで、暴れる荒川利根川を江戸から遠ざけるためにさまざまに流路の変更があった。このマップでは、銚子に向かうのと江戸湾に注ぐふたつの利根川が記されている。

秩父に発した荒川は戸田川として南下し、岩淵で隅田川と別れて水路が開拓され小菅、小岩を経る現在のすがたとなった。

 

面白いのは現利根川の大堰にはじまる見沼用水が、ひたすら南下して見沼通船として戸田川、千住川、浅草川、大川をへて永代橋までいたる交通路になっていたことだ。

 

チャリで走ると、水の都の痕跡にいたるところでぶつかる。紙地図でもwebマップでもあいまいだった地形が、このように可視化されて楽しみが尽きない。