荷風マイナス・ゼロ (8)

銀座五丁目カフェー・タイガー(荷風は大正時代から通っている。)

昭和7年(1932)

 

11月3日、サロン春入り口で水兵と運転手のケンカがあった。運転手は、満面血まみれになった。「大に面白し。盛り場に喧嘩なき時は何となく物足らぬ心地せらるる也。」

11月8日、青山脳病院に行って、斎藤茂吉の診察を受けた。不眠症治療のため。荷風、茂吉それぞれ記録での記述は冷淡だ。

11月11日、青山の病院で斎藤茂吉に受診。梅毒検査の結果は陰性だった。長年荷風は、体調不良の原因を梅毒と思いかかりつけの医師もそう診断して治療していた。ただ血液検査は受けていなかった。日記を見るかぎりこれにとどまらず医師の腕は疑わしいが、梅毒否定をされたのちも荷風は名医と信じ定期的に診療を受けた。

11月16日、新聞記事によると月島小学校の某女教師は学校勤務のかたわら、夜はカフェの女給になって待合に客を連れこみ枕探しをしていた。2-3千円を貯蓄したが露見して逮捕された。

11月18日、銀座四丁目で知人に会い、新富町で男色をひさぐものがいると紹介され出かけた。主人は役者で三四人の陰間がいるという。その妹は10円で春を売るという。主人は不在だというので、5円の祝儀をおいて帰った。帰路、なじみの街娼と出会って蠣殻町の待合に行った。

11月20日早慶戦があり酉の市だったので銀座は雑踏。

11月27日、街の噂では銀座通りカフェの女給が、街頭で客を引くことを禁止されたという。また入り口窓にはカーテンを引くことを命ぜられたとのこと。

12月6日、女給の話では近ごろ陸軍士官が軍服のまま、カフェや舞踏場に出入りすることがめずらしくなくなった。士官学校教師某男爵は、芸者を連れて店に来るという。「本年五月十五日の事変以来世態一変したるを知るべし。」

12月9日、人の話では銀座あたりのダンスホールには世俗ギャングと称する悪漢の一団が存在するという。右翼の頭山満や外相らの息子など名士の子弟が多くいるので、警察も手を入れないという。

12月14日、春陽堂の店員が「日和下駄」「江戸芸術論」の印税80円をもってくる。丸善で洋書を買い、芝浦の待合で食事する。たぶん女を買ったのだろう。

12月16日、兜町の株屋に電話し、所持する株で配当のないものを売ることにする。

12月18日、日本橋の待合で食事。「帳場に年の頃二十四五の美人煙草をふかしいたるを見たれば、そっと女将を呼びて様子をきくに、去年頃まで高島屋呉服店の売り子なりしが今は人の妾となり内々にて春をひさぐと云う。価を問うに拾円なりと云う。」

12月19日、株屋の店員が株券代金2万5千759円50銭を持参する。三菱銀行に預金する。江東に出かけ荒川放水路を散歩する。帰途、日本橋白木屋の焼け跡を見る。

12月31日、銀座通り夜店のにぎわいを見る。偶然カフェ・タイガーの女給と出会う。京城(ソウル)から帰ったところだという。

 

白木屋火事昭和7年12月16日。日本初の高層ビル火災。)