荷風マイナス・ゼロ (61)

 

昭和15年(1940)

 

1月6日、去年十一月の末から今日までほとんど雨がない。新聞の記事を見ると水道水切れのおそれがあるという。木炭米穀の不足についで飲料水の欠乏をみる。天罰恐るべしである。・・牛肉ヒレ本年から一人前につき15銭値上がりしたという。

・・求援広告のはなし 新聞に求援広告を出して春をひさぐ女が去年あたりから急に多くなったという。求人の実見談をきくと、広告の文中にご援助賜りたしという語を交えてあるのは売春でなければ妾の口を求めるもので、この語はいつのころから誰がつくり出したものか知らないが、一種の合言葉となり、男の方から女をさがす時には援助できる婦人を求むと書き返書の届け先はどこそこの郵便局留め置きとして広告すれば、明朝を待たずその日の夕刻までには少なくとも五六通の返書に接することができるという。女は二十五六から三十七八歳までで、初めの会見の場所は新宿と上野が多く、新橋銀座辺は割合に少ない。

1月7日、銀座四丁目三越で葡萄酒を買おうとすると舶来品は10円以上となったので、和製一壜を買う。石鹸歯磨きなどいよいよ和製のみとなった。わが家には英国製シャボンまだ10個くらいはあるだろう。酒類もキュラッソオ、ブランデイ、オリイブ油など各一壜ウーロン茶は三四斤くらいの貯えがある。

1月8日、昨日買った和製葡萄酒を試みると希薄なこと水のようで滋味はさらにない。壜の形とレッテルの色だけ舶来品に似ているのも可笑しい。午後買い物に銀座に行く。煙草屋にもマッチのない店が次第に多くなった。飲食店で食事の際煙草の火を命じる時、給仕人はマッチをすって煙草に火をつけ、マッチの箱は自分のポケットに入れて立ち去るのである。

1月12日、岩波書店去年十二月勘定左のごとし。

雪解   第二刷四回 2000部 金40円也

墨東奇譚 第五刷四回   200部 金60円也

おもかげ 第三刷二回   500部 金165円也

〆金265円也

1月13日、旅順要塞司令部より旅順占領三十年祭につき詩歌を揮毫し郵送せよとの書状来る。軍人間にわたしの名を知られたとは恐るべく厭うべきこと限りない。いよいよ筆を焚くべき時は来た。(とはいえ欄外に和歌二首を記す。)

・・ムーラン・ルージュを立ち見する。辰年にちなんだ舞踊の一節に芥川龍之介の幽霊を出した。侮辱の心なのか滑稽の気持ちか。現代人の趣味はまったく理解できない。

1月14日、夜内閣更迭の号外が出る。(大戦不介入方針は陸軍の反対にあい瓦解した。)

1月17日、女中のはなしでは町の風呂屋は今まで午後二時から開場だったが、午後四時となったため入浴の時間がなく、また女湯が込み合って入ることが出来ないほどだという。

学生の飲酒を禁ず。

1月22日、郵便局で所得税その他を納める。金300円余なり。

1月23日、銀座四丁目四辻から京橋辺りに戦地から帰国した兵隊が酒気をおびて徘徊する。軍服の胸に姓名をしたためた布を縫い付けていた。乱暴しないように用心か。懲役人のようだ。

1月25日、銀座三浦屋でまた牛酪を得た。舶来葡萄酒34円くらいのものがまだ少しあるという。喜びにたえない。

1月28日、銀座を歩くと学生禁酒の令が出たのにかかわらず今なおビヤホールの卓に座るものを見る。怪しむべきである。

1月31日、炭屋が来て闇取引の捜査がいよいよきびしくなり、山元で炭を焼かないようになったので東京市内にはいよいよ炭が少なくなるだろうという。

・・玉の井の里に行く。窓の女たちも染色毒々しいスフの新衣装を着るものが多い。赤黒青のような原色ばかりの大形模様もこの里の女にはかえってよく似合って見える。

 

2月10日、電力不足のためオペラ館楽屋は薄暗くなった。その他どこの劇場も灯数を減らし、夜十時過ぎには六区の往来は暗淡として人影がない。

2月11日、岩波書店二月分勘定左のごとし。

腕くらべ 第四刷三回 2000部 金80円也

(売れ行き快調だが、締め付けで古典の出版しかできないのだろう。)

2月13日、日本橋三越で新着の洋書を見る。構内減灯のため薄暗くなって呉服物の色合いなどほとんど見分けられない。去年の冬ころには雨がふらぬため電力欠乏するように人々は噂したが、雪ふり雨もふって電力はいよいよ欠乏し、人家の軒の灯も今はつけないところが多くなった。町の噂に市内電力の不足は軍器工場で電力濫用の結果なのでやがて電車も運転しないようになるだろうという。

2月18日、服部の時計がわずかに十時を過ぎたばかりなのに暗淡とした銀座通りには夜店もなく歩行の人影も途絶えていた。

2月20日、院長がしきりに菜食の必要があるという。わたしがひそかに思うところがある。わたしの年はすでに六十を越えた。希望ある世の中なら摂生節欲して残生をたのしむもまたわるくはないだろう。しかし今日のような兵乱の世にあって長寿を保つほど悲惨なことはない。平生好むものを食して天命を終わっても何を悔いるところがあるだろう。

新聞紙この夕、フィンランド軍戦況不利の報を掲げる。悲しむべきなり。

・・市内荒物屋でマッチを売るところが去年十月ころよりなくなり今日に至っている。煙草屋でもマッチを売るところは少ない。

2月26日、夜浅草オペラ館に遊ぶ。小川丈夫がわが旧作の小説すみだ川を脚色し三月上演するつもりだといって台本の校閲を請うた。わたしはひどく当惑したが如何ともできない。

 

3月3日、午後買い物に銀座を歩く。・・若き男女の身だしなみの悪くなったこと著しく目立つようになった。東京従来の美風、小ぎれい、小ざっぱりした都会の風俗は、紀元二千六百年に至りまったくほろび失せた。

3月7日、浅草オペラ館に行く。小川脚色すみだ川初日、思ったほど悪くなかった。

3月10日、岩波書店三月勘定左のごとし。

おかめ笹 第四刷一回 2000部 金80円也

珊瑚集  第二刷二回 1000部 金20円也

雪解   第二刷五回 2000部 金40円也

3月12日、オペラ館楽屋に行きすみだ川を見る。芸者お糸に扮する女優筑波雪子というのは、江戸風のどこやら仇っぽい顔立ちだが、実は朝鮮人だと楽屋雀の影口をきき、一種名状しがたい奇異の思いがした。この夕、雪子が舞台の板はめに寄りかかり芸者の姿で何やら駄菓子を食い指をなめながら出端を待つ姿を見ると、おのづからすみだ川を作ったころのこと、かの富松といった芸者と深間になり互いに命という字を腕に彫ったころのことなど夢のように思い返されるおりから、この美しき幻想の主が外国人であることを知って奇異の感を禁じ難いものがあった。

3月14日、地下鉄で偶然、女優筑波とその情人某に逢う。

3月20日、種痘をした。このごろ浅草日本堤下碁会所から天然痘の患者が出ておいおい蔓延する形勢があるからである。支那から来たもので病毒強烈という。

3月27日、昨年来六区興行町をあらし歩いた象潟署の巡査数名が免職されたと、その噂とりどりである。

3月29日、ある人の話に医学を学ぶものは従来はドイツ語を修めたが、軍閥の世となってから医師がドイツ語を使用することを禁じ薬品病症などすべて日本訳語を使用させることにしたという。尺度重量などはことごとくメートルおよびグラムを用い、従来の寸尺貫目を廃しさせ医師の専門用語を強いて和訳させる。矛盾これよりはなはだしいことはない。

3月30日、立春後晴天つづきのため水道またもや水切れのおそれありという。台所の水道栓の水の出は非常に少ない。

 

4月3日、銀座から浅草に行って見ると傘を持たない男女が濡れネズミになり満員の電車に乗ろうとしている。興亜市民の勇気は驚くべきでまたその不用意は賞すべきである。

4月10日、ドイツ軍はデンマークノルウェー両国を占領す。

4月12日、芝公園女中殺しの噂がとりどりである。拘留された嫌疑者は政府役人だというので新聞紙はこぞってその名を掲げない。官尊民卑の風はついに改められることが出来ないと見える。笑うべし。

4月13日、岩波書店四月分勘定左のごとし。

珊瑚集  第二刷三回 1000部 金20円也

雪解   第二刷六回 2000部 金40円也

腕くらべ 第四刷四回 1500部 金60円也

〆金120円也

4月14日、米屋の男が昨日注文した米一袋のほかに小袋を持ってきて、外国米2割をまぜて売る規則だが内々で別々にしておいたので、巡査らが来たときはそのお心でご返事してくださいという。外国米はシャムの産だという。色は白いが粒が小さく細長いので鼠の糞のようだ。わたしは日本に生まれて六十余年、外国米を手に取って凝視したのは今日が初めてとなった。

4月24日、銀座辺りの紙屋では改良半紙だけでなく土佐石州あたりの半紙もみな品切れとなった。50銭札および国債用紙原料にされるためという。

4月28日、銀行利子のうち二割五分を税金として取り上げられる。