荷風マイナス・ゼロ (62)

ドイツ軍進路gif

昭和15年(1940)

 

5月1日、院長がわたしの自炊生活に過労のおそれがあるといってしきりに入院静養の必要を説く。浅草に行こうと思ったが院長の忠言を思い起こし銀座を過ぎてかえる。わたしが下女を雇わず単独自炊の生活を営み始めたのは一昨々年昭和十二年立春の日からだから満三年を過ごしたのである。

5月2日、銀座を歩く。疲労はなはだしく全身に水腫がある。昭和三年ころの病状に似ている。

5月3日、ノルウェー出征の英仏軍に利なく北走する。

5月5日、銀座辺りの噂に、本月一日例の興亜何とやらと称する禁欲日で、市中の飲食店休業する。芸者も休みである。女たちはこの日をかき入れとして市街の連れ込み茶屋また温泉宿へ行くものおびただしく、ことに五月の一日は時候もよく遊山の女連れが目に立ったので、警察署は女給芸者などを内々に取り調べ、当日遊山に行ったものは営業禁止の罰を加えようとしているという。巡査らの目には人の遊ぶのがよくよく羨ましいと見える。人の遊ぶのはその人の勝手ではないか彼らは袖の下さえあてにすればいいのではないか。

5月10日、ドイツ軍オランダ・ベルギー国境を侵す。

5月12日、岩波書店勘定左のごとし。

金150円也 墨東奇譚六刷一回 500部

金  80円也 おかめ笹第四刷二回 2000部

〆金230円也

5月14日、蒲田辺り水道涸渇浴場休業するという。

5月16日、わたしは日本の新聞の欧州戦争に関する報道は英仏側電報記事を読むだけで、ドイツよりの報道また日本人の所論はいっさいこれを目にしないのである。今日のようなわが身にとっては列国の興亡と世界の趨勢とはたとえそれを知ったとしても何の益するところもなくまたなすべきこともない。わたしはただ胸の奥深く日夜フランス軍の勝利を祈願してやまないだけである。ジャンヌ・ダルクは意外なとき忽然として出現するだろう。

5月18日、号外売りが欧州戦争でドイツ軍大勝を報じる。仏都パリ陥落の日は近いという。わたしはみずから慰めんとしても慰めることができない。晩餐もこのためにまったく味がしない。灯刻悄然として家にかえる。

5月19日、金龍館文芸部吉澤某・・は二十余歳の青年、フランス軍の大敗を痛嘆し欧州文化の衰滅を憂う。日本現代の青年にして今日なおこのような説をなすものがあるのは寧ろ奇であるといえるだろう。

5月21日、このごろ砂糖品切れ。角砂糖は贅沢品だといって製造禁止になったという。

5月22日、日高君が戸を叩き中央公論社の編集員がわたしの全集出版契約金手付と称して金5万円小切手を持参してきたと告げる。日高氏は右小切手をそのまま返却のため中央公論社に赴いた。(このころ中公と岩波で全集出版の綱引きをしていた。)

5月23日、日本橋通りの乾物問屋で葛粉を買おうとしたら、本年は食料不足となるおそれがあるといって、先月から葛粉素麺その他の品を買いに来るものが多くすでに品切れとなったものもあるという。

5月24日、ある人の話に、マッチを手に入れるところが煙草屋のほかにないので、一時やめていた喫煙をふたたびし始め、市中どことはいわず煙草を買うごとにマッチひと箱二銭づつで買い歩いていたところ、日本橋箱崎町のとある店で思いがけず昔なじみの女に出会った。何やら小説の書き出しのような心地がしたという。

5月29日、先月から水道の水不足で銀座築地辺り二階に水が上らず水洗便所が使用できない。不便はなはだしいという。

ベルギー国王ドイツの軍門に降る。

5月31日、独軍の勝利につれ日本新政府の横暴がいよいよひどくなることを考慮して岩波から出版する予定のわが全集には冷笑、監獄署の裏のような作品は削除して収載しないこととした。明日一日には市中の芸者遠出することを禁じられる。

 

6月7日、裏隣りのかみさんが来て夜八時から明朝四時ころまで水道が断水するはずだと告げる。この後当分そのようだという。銀座に行って見ると四丁目角の竹葉亭早仕舞、長寿庵休み、銀座食堂は定刻九時まで店を開く。汁粉屋は多く早仕舞である。喫茶洋食店は平日どおりのようである、十時ころ家にかえると台所の水栓蛇口から水が滴っているのを見る。試みに蛇口を開いてみると水勢は平日よりもよい。

6月8日、オペラ館楽屋に憩う。この地は終日水の制限なく楽屋にも風呂がある。飲食店平日のままのようだ。

6月9日、日本橋花村に行くとこの辺一帯水切れで人々はバケツを提げ最寄りの井戸に水を汲みに行っていた。浅草から玉の井に行ってみると水は十分である。

6月10日、水道の水は朝六時ころ一時間、夕方六時ころ同じく一時間のみだという。・・銀座通りで食料品を買う。街頭の群衆を見るとその風采面貌および音声はことごとく明治時代のものとは異なっている。わたしのようなものは異郷における異郷人であるといえよう。

6月11日、岩波書店六月勘定左のごとし。

墨東奇譚 第六刷二回 1500部 金450円也

雪解   第二刷七回 2000部 金40円也

〆金490円也(岩波を執拗に記録するのは全集刊行に絡んでか。)

イタリア参戦。

6月14日、パリ陥落の号外が出た。巴里落城。

6月15日、日本橋花村に夕飯を喫す。日曜日で赤子老婆などを連れた家族七八人、麦酒サイダーなどを命じて晩飯を喰らうものが幾組もある。みな軍需品商人であろう。東京の言葉を使うものはほとんどない。

6月19日、都下新聞の記事は戦敗のフランスに同情するものなく、多くは嘲罵してはばかるところがない。その文辞の野卑低劣読むにたえず。

6月25日、水道栓の水が昼夜とも流れるようになった。この次はいつごろ断水となるだろう。

 

7月2日、近来種々の右翼団体または新政府の官僚らから活版刷りの勧誘状を送ってくることが頻繁である。このままにしておく時はわたしも遂には浪花節語りと同席して演説せねばならぬ悲運に陥るおそれがある。わたしはこれを避けるため不名誉な境遇に身を落とそうと思いたち先月なかばころからおりおり玉の井の里に赴き、一昨々年ごろから心安くなった家がニ三軒あるのを幸いに、事情を聞き淫売屋を買い取りここに身を隠すことを欲したのである。一昨日三十日の夕方ふと訪ねた家があったので今日もまた夕飯のあと行ってみた。この家の二階は三室ともベッドの枕元に大きな鏡をかけている。一室の押し入れから隣室をのぞく仕掛けもある。主人夫婦はよい買い手があれば譲り渡し現金にして故郷に帰って隠居したいという。せがれが一人いる。帝国大学を去年卒業し官吏となって台湾に行ったという。

7月3日、昨夜訪ねた玉の井の女から電話あり。暮れ方ふたたび行って様子を聞くと、権利金七八千円より少ないものはない。別に方法がある。それは毎日七八円づつ家主(銘酒屋主人)に割りを出し女は自前で稼ぐ。毎晩二十円は間違いなくかせげる見込みだから、手取り十二三円になるわけである。着物食料その他は自弁であるという。よく考えてニ三日中に返事をするといって帰った。

昨夕の新聞紙にまたまた小娘らが打ち連れて日本劇場の映画を見にいくさま、または白昼カフェーの戸口から酔漢がよろめき出るさまを見て、これを慨嘆し法律をつくって罰すべしというような議論を掲げるものがいる。活動写真は見なくてもよいもの酒は飲まなくても生命にさしつかえないものであることは言うを待たない。しかしここにいささか考えるべきことがある。それは現代人の感情の中に都会生活の一面を見てその奢侈贅沢を憎むことがようやくはなはだしくなってきた傾向である。その原因は一言で言いつくすことはできないが、これは要するに現代日本人の胸底に蟠居する伝統的羨望嫉妬の情に帰着するものと見てよいであろう。老人が青年の恋愛を見てけしからん事と慨嘆するのは、おのれがやりたくても男根立たざるための妬みから起こり来るのである。現代日本の社会には階級と職業との間だけでなく、万事些細な事の端にいたるまで相互に嫉妬羨怨の私念があって、ここから超越することが出来ないもののようである。密告摘発のさかんなことは怪しむにたりない。新聞紙上読者投書欄なるものを一見すれば思い半ばに過ぎるものがあるだろう。

7月4日、当月一日より戸口調査があった。町会から配布してきた紙片に男女とも身分その他の事を明記して返送するのである。これを怠るものには食料品配給の切符を下付しないという。日陰の世渡りをするものには不便この上ない世となったのである。この事につき久しくその所在を知らなかった昔なじみの女一人ならず二人までも電話をかけてきて、ただ今さるところのアパートに住み相変わらずの世渡りをしているけれど、戸口調査で困っています。表面だけ先生のお妾ということにして届け出たく思いますがお差しつかえないでしょうかという。これに答えて、お妾を二人も三人も抱えていることが役人に知れると税務署から税を取りに来るからそれは都合がよろしくない。それよりは目下就職口をさがしているように言いこしらえておいたほうがよいと体よくことわった。

7月5日、水天宮賽日のにぎわいが時局にかかわりないのは喜ばしい。

7月6日、奢侈品製造および販売禁止の令が出た。ただし外国に輸出しあるいは外国人に売って外国の金を獲得することは差し支えないという。それなら西洋人を旦那にして金を取るのは愛国的行為であろうし明治時代にあった横浜の神風楼はよろしく再築すべきであろう。それはともあれ江戸伝来の蒔絵彫金のごとき工芸品の制作または指物のようなものはこの度のお触れでいよいよ断絶するにいたるだろう。このような工芸品の制作は師弟相伝の秘訣と熟練を必要とするものだから一たび絶えたときは再び起こらないものである。

7月12日、岩波書店勘定左のごとし。

珊瑚集  第二刷四回 2000部 金40円也

雪解   第二刷八回 2000部 金40円也

〆80円也

7月17日、夕方自炊の際トマトを切りオリーブ油を調味する。壜の貼り紙にその産地 Grasse,Alpes Maaritimes,France の名を見る。この地も今はフランスの領土ではないことを思い胸ふさがれる心地がした。

7月18日、(岩波からの伝言で)時勢がますます文学に非なのでわが全集九月ころより刊行の手はずだったがしばらく見合わせたいと、わが方へ伝えてほしいとの事だったという。

7月27日、銀座通りの人通りがいよいよさびしくなった。

 

8月1日、銀座食堂で食事する。南京米にじゃがいもをまぜた飯を出す。この日街頭にぜいたくは敵だと書いた立て札を出し、愛国婦人連が辻々に立って通行人に触書をわたすと噂があったので、そのありさまを見ようと用事を兼ねて家を出たのである。四丁目四辻また三越店内では何事もなかった。・・今日の東京にはたして奢侈贅沢と称するに足るものがあるだろうか。

8月2日、街頭で偶然踊り子ミミイという少女に逢う。昨朝大坂から帰ってきて新橋演舞場に出勤するという。・・ナナ子とかいう踊り子は街頭愛国婦人連から印刷物をもらったからといって恐れる様子もなかった。広告の引き札でももらったような様子だった。下愚と上智とは移らず(生来愚かな人と生来賢い人は環境に左右されない)と言った古人の言葉も思い出されて面白い。あたかもこの日の夕刊紙にジャズ音楽がやがて禁止されるだろうとの出た際であるし、ミミイの悠然たる態度がことに面白く思った。

8月5日、西銀座二三丁目辺りから数寄屋橋河岸にかけて刃物をもった追剥ぎが宵の口から出没するという。

・・采女橋の欄干に寄りかかって閑話をする。橋上には芸者を乗せた人力車の往来が引きも切らない。花柳界の景気が今なおさかんなことを知らせる。芸者の風俗はすでに一変して昭和二三年ころの女給タイガーライオンなど彷彿とさせる。島田に結うものは一人もないようだ。・・この夜は銀座通りの男女の往来が再びにぎやかになった。女給は木綿浴衣を着て帰るものが多い。

8月7日、馬場先門のあたり女学生の一群が炎天の下に砂利を運ぶのを見る。秦の始皇帝阿房宮を築造したむかしも思い出されて恐ろしいかぎりである。

8月11日、日本橋三越内で洋書を見る。イタリアドイツの新刊書はあるが、フランスの書物は売れ残りのものもようやく少なく、ジードの全集450円と記したのが目に立つのみ。

・・本月二日より市内の飲食店は昼食十一時より二時ころまで、夕飯は五時より八時ころまでの規則となった。芸者の出入りする料理屋では時間の定めなく米飯を禁じられたという。

8月20日、郵便局に所得税を納める。一回分260円ばかりで予想したよりもはるかに少額だった。この分なら家屋蔵書を売るにも及ばず、老後の残生は今のようにどうやら送ることが出来そうに思われる。

・・夜玉の井を歩む。例年なら今宵のような暑さのおりにはひやかしが雑踏することはなはだしいのが常なのに、今年七月ころからその筋の取り締まりが厳しくことに昨今は連夜のように臨検があるため、路地の中は寂寞として人影がない。しかし遊び客は10円20円くらい使うものが多く、商売は以前の数こなしよりも楽で収入も多いという。女の話である。

8月22日、毎年夏になって市中の溝川または大川筋各所の貸しボートが繫盛する季節となると、ボート遊びの女を脅迫する不良の団体がいくつもでき毎夜二三十円の稼ぎをするのが例となっている。金を奪ったうえに女を自由にすることも少なくない。

8月23日、オペラ館楽屋の壁にその筋の御注意により台詞は台本の通りに言う事と太台詞捨て台詞は厳禁の事という貼り札があるのを見る。役人たちには捨て台詞ということの意味が分からないらしいという者もいた。

8月24日、来月初めより市中料理店膳部の値段が決まるという。このため市中にはむかしの八百善伊予紋などで出した二の膳付きの懐石料理はその跡を断つことになる。

8月25日、カフェーはいづこも繁昌の様子でなかなか政府の言うようにはならないようだ。この日は日曜日。

8月26日、築地劇場俳優組合解散を命ぜられる。

8月27日、オペラ館踊り子のはなしを聞くと勤労婦人連が朝のうちから公園内諸所に天幕を張って集会し通行の女の洋髪洋装をするものを呼び止めて心得書を交付したという。

8月29日、夕刊新聞紙に馬場先外帝国劇場九月かぎり閉場。その後は何やら官庁になるという記事があった。

8月30日、市中の風聞をきくと、明後九月一日より夕方五時前まで酒屋で酒を売らず、飲食店でも昼間酒を出さず、待合茶屋娼楼銘酒屋玉の井亀戸は同じく夕方五時に至らなければ客を迎えない。昼遊びの客をことわるという。それなら酒をのんで女を買おうとするものは五時の鐘をきいて先を争い狭斜の巷に馳せ行かねばならないことになるだろう。その時刻の光景はすこぶる奇であろう。

8月31日、夕刊読売新聞の紙上に陸軍中将某氏未亡人の家の土蔵を破り金銀小判および禁制品を盗み出した盗賊が捕らえられたことが見える。貴金属品はすでに政府へ売却したはずなのに今頃にいたって軍人の家に尚古金銀の隠匿されているのは怪しむべきである。正直者は損をする世の中と知るべし。