荷風マイナス・ゼロ (67)

独ソ開戦まえの欧州

 

昭和16年(1941) 

 

4月4日、新橋橋上のビラにもう一押しだ我慢しろ南進だ南進だとあった。車夫の喧嘩のようだ。日本語の下賤を今は矯正する道がない。

4月9日、終日パーレーの万国史を読む。(実際の作者はナサニエル・ホーソーン)この書はわたしが少年のころ英語の教科書に用いられていたことがある。今日たまたまこれを読むと米国人の米国を愛する誠実な感情が藹然として人を動かすものがある。愛国心を吐露した著述中のもっともよいものというべきである。日本にはこのような出版物がほとんどない。

4月10日、午後昼飯を銀座で食べて直にかえる。街頭電車ともに醜悪な老婆田舎漢で雑踏していた。

4月11日、食料品を買おうと銀座に行く。葛きな粉その他の乾物類はたいてい品切れである。

4月13日、尾張町竹葉亭は米不足で鰻にうどんをそえて出すという。天金は早仕舞にするという。銀座食堂は平素客が少ないので定刻まで米飯を出す。牛肉屋松喜も通りがかりに様子を見れば米の飯を出すようだ。

4月14日、出かけて銀座で食事する。来月から毎週一度づつ牛肉屋は休みになるという。洋食屋も同じく休業するだろうという。

4月16日、正午銀座洋服屋来る。洋服羅紗地はこの後はいよいよ悪くなるという。羊毛がますます少なく絹糸が多くなるから、洋服を着るよりは和服の方が冬は暖かになるだろうし、将来は洋服屋は立ちいかなくなるだろうと語った。

4月17日、浅草に行き公園の米作で食事する。木の芽あえ味よし。この店は新政により昼飯は2円50銭かぎりでそれ以上はできないという。

4月19日、電車で歌舞伎座前を過ぎる時あたかも開場間際と見え観客が入り口の階段に押し合いするさまは物凄かった。劇場の混雑は数寄屋橋日本劇場だけではないと見える。近年歌舞伎座大入りつづきでかくの如きありさまでは役人の嫉視の眼もおのづから鋭くなるわけである。近いうちに必ず制裁の令が下るであろう。観客の風采醜陋なること浅草六区と大差ないようである。

4月23日、銀座で食事する。先月来食料品店のみならず菓子屋果物屋の店頭に缶詰瓶詰物がおびただしく並べられている。今まで見たことのない缶詰もある。大西洋航路が閉止となり輸出することが出来なくなったためという。葡萄酒も戦前フランスの輸出品で上海神戸辺りに滞貨していたものを日本製ガラス瓶に詰め替えたものには値段の割に良い品があると三浦屋店員の話である。試しに一本買い帰って味を見ると果たしてその言う通りのようだ。

4月24日、谷町通りの靴屋で靴の直しをたのんでいたが皮も配給になり来月なかばころまで皮はないという。

4月26日、ある人のはなしを聞くと官吏で赤化の疑いがある者が数十名捕らえられたという。そのなかに高等官が多いという。政府はこのほどロシアと和親条約を結んだとき突然この疑獄が起こる。世情渾沌五里霧中にあるようだ。

企画院事件 4月25日日ソ中立条約発効。)

4月29日、鳩居堂に行き白扇を買おうとすると品切れであった。美濃屋で問うと四五本残っているという。

(噂の聞き書きとして出征軍人戦死軍人の妻の醜聞。)

4月30日、(亀戸天神に行く)鳥居前の茶店はみな店を閉め葛餅団子その他ことごとく品切れの札を下げていた。藤棚下の掛け茶屋では怪しげな蜜豆サイダーを売っていた。

 

5月6日、どこの店にも巻煙草がない。ある店で聞くと毎日配給はあるが早朝一二時間で売り切れとなるという。また日本酒の配給は一家族にひと月一合の割り当てである。これは飲食店へ配給した残りの酒であろう。理研とやらで化学的に調合した酒なので一種の臭気があって口にし難い。土方の飲む悪酒であるというものもいる。

5月8日、市兵衛町は大掃除で近所の派出婦会から女を雇うと、年二十二三の丸顔の女がもんぺを履いて来る。その顔と言葉遣いが玉の井で知る家の出方にそっくりなので、故郷は山形かと問えばそうです、と言った。戦争このかた若い女が他所へ移住することは禁止されている。汽車の中でも捕らえられた時はすぐに送還されるのである。親類で東京に居住するものがあれば前もって打合せし理由をつけて東京に旅立つのだという。江戸時代のはなしを聞く心地がする。

・・今月から八の日は肉食禁止になったということで銀座浅草とも飲食店の過半は店を閉めた。

5月10日、夜浅草で食事してオペラ館楽屋を訪ねる。踊り子大部屋に左のごとき紙片が落ちていた。滑稽なのでここに転写して笑いを後世に残すよすがとする。

「さて時局の進展は益芸能文化によって戦時国民生活を側衛するの急なるを感じます。吾等はここに時局認識をお互いに徹底し職域奉公の誠を効す目的を以て今回文部省社会教育局長及聖戦遂行に日夜砕心せらるる陸海軍当局要路の方々より御講話拝聴の会を左記次第にて開催致す(略)芸能文化連盟会長」

5月11日、(市中の風聞)角力取りの家ではどこでも精米が無尽蔵である。南京米など食うものは一人もいない。精白米は軍人のひいき客からもらうという。

五月八日に戦死兵士家族が招魂社に招待されたとき偕行社で出した料理は西洋食で肉が多かったという。(遺族を歌舞伎座に招待したさい折詰弁当の箱を燃していると火事になりそうになった。これらは軍部によりいっさい報道が禁じられた)

・・築地辺りの待合料理店は引きつづき軍人のお客で繁昌ひとかたならない。公然輸入禁止品を使用するだけでなく暴利をむさぼって売るものもいる。待合のかみさんもこのごろは軍人の陋劣さに呆れかえっているという。

尾上菊五郎大谷竹次郎家族の徴兵醜聞)

5月12日、市中の煙草店は煙草がいよいよ不足となった。刻み煙草も早朝売り切れになるという。ただし軍部に関係ある者また新橋の花柳界は不自由することがないという。わたしの机上には二三年前に買い置きしたリッチモンドの缶も今はわずかに一個を残すだけになった。先夜新橋から乗った円タクの運転手は年四十ばかりだったがガソリンも米も煙草もみな不足だけれど女ばかりは不足しない、米や酒は節約せよとの命令だが夜中の淫行は別に節制のお触れもない。松の実かにんにくでも食って女房と乳くりあうより外に楽しみはない世の中になりましたと語った。

5月15日、世間の風潮また読書界の状況を見ると不愉快かぎりない事だらけである。わたしは世間から文士あつかいされるほど耐え難いことはない。手紙で雑録出版延期または中止したいことを伝えた。

陰茎切り取りの淫婦阿部お定満期出獄。

5月16日、佐藤春夫が某新聞紙上でわたしに関してひどく迷惑な論文を掲載したという。事理を解さない田舎漢と酒狂人ほど厄介なものはない。

5月18日、熱海のある旅館の主人が来て旅館の女中も家の大小により人員を制限し解雇されたものは工場に送ることになるという。検査の役人は三島の役所から出張してくる。旅館ではこの役人に100円くらいの賄賂を贈り女中の人数をごまかすのだという。熱海の警察署はその以前から収賄ありさまであるという。

5月19日、病院で試験に用いるウサギはその死骸を一手に買い集める者がいて、やがては露店の焼き鳥になるとのことなので用心してくださいという。

5月20日歌舞伎座来月の狂言髪結新三はその筋が許さない。源氏店は与三郎が改心するように改作せよといわれたという。加賀鳶も改訂しなければ許さないという。

5月21日、深川扇橋辺地所一坪 金100円以上  本所千歳町辺 同  深川平井町辺 金50円以上  浅草橋場辺 金90円以上 右電車内広告競買地所価格である。

5月23日、先月来食欲がとみに減り終日ただ睡眠をもよおすばかり。・・外米の被害だろうと電気治療をする。新政の害毒がついにわたしの健康をおびやかすに至った。可恐可恐。

5月26日、市中に散在する鶏肉アスパラガスなどの缶詰はアメリカに輸出するため製造されたものだという。

5月29日、芝口の牛肉屋今朝に行って食事する。半年前に比べれば肉類野菜がことごとく粗悪となり値段はかえって一人前3円になった。漬物が殊にわるくなったのでその訳を聞くと今までは漬物だけこしらえるおばさんが居ましたがその人がよして代わりがないからでしょうと女中が話した。

5月31日、(戯文が郵送されてきたとして紹介:慾簒怪ヨクサンカイという化物は日本中の米甘藷バター牛肉などを食いつくし、吠える声はコーアコーアともセイセンとも聞こえる・・。書いたのは荷風自身だろう) 

 

6月3日、飲食店で夜十一時かぎりで灯を消さないところにはこの頃巡査が入ってきて客を拘引するという。女連れの客と見ればいよいよきびしく尋問するという。

6月4日、雀が人になれて毎朝勝手口に集まってきて洗い流しの米をついばむ。雀も今は閉口して南京米を嫌がらないようになったか。憐れである。

6月6日、葛粉一袋越後小谷町産金3円なり。・・新政以後東京市内で葛粉を売るところは一軒もない。

6月7日、池ノ端揚げ出しで夕飯を食べる。豆腐料理は品切れである。この店でもすでにかくの如し。市中に豆腐がないのは推して知るべし。

6月8日、銀座を過ぎるとこの日は牛肉が休みだから天ぷら屋天国その他蕎麦屋の店口に散歩の家族男女事務員らしいものが列をなして押し合うのを見る。まったく餓鬼道の光景である。

6月10日、芝口の牛肉店今朝で食事する。牛肉鶏肉いづれも品不足のため毎月四回休業。なお午後は毎日閉店すると女中の話である。

6月11日、オペラ館楽屋に行く。芸人某が徴兵に取られ戦地に行くといって自ら国旗を買ってきて、武運長久の四字を書けという。この語も今は送別の代用語になったと思えば深く考えるにもおよばず直に書いてやった。

6月12日、銀座の洋服屋新川が先月かぎり洋服仕立てをやめ雑貨店になったといって去年の勘定を取りにきた。新川は明治八九年ころから銀座で営業する老舗だという。

6月15日、(18世紀の俳人神沢杜口の翁草に、天子将軍のことでも筆を執ればいささかも遠慮の心を起こすべからずとあるのを引いて)わたしは万々一の場合を憂慮し、ある夜更けに起きて日誌中の不平噴惻の文字を切り去った。また外出の際には日誌を下駄箱の中にかくした。いま翁草の文を読んで慚愧することはなはだしい。今日以後わたしの思うところは寸毫もはばかり恐れることなくこれを筆にして後世史家の資料に供すべし。

日支今回の戦争は日本軍の張作霖暗殺および満州侵略に始まる。日本軍は暴支膺懲(乱暴な中国をこらしめる)と称して支那の領土を侵略しはじめたが、長期戦争に窮した果てににわかに名目を変えて聖戦と称する無意味な語を用いだした。欧州戦乱以後イギリス軍が振るわないのに乗じ日本政府はドイツイタリアの旗下に従い南洋進出を企画するにいたったのである。しかしこれは無智の軍人らおよび猛悪な壮士らの企てるところで一般人民のよろこぶところではない。国民一般が政府の命令に服従して南京米を喰って不平をいわないのは恐怖の結果である。麻布連隊叛乱(2.26)のさまを見て恐怖した結果である。今日では忠孝を看板にして新政府の気に入るようにしてひと儲けしようと焦慮するためである。元来日本人には理想がなく強きものに従いその日その日を気楽に送ることを第一にしている。今回の政治革新(ファッショ化)も戊辰の革命も一般の人民にとってはなんらの差別もない。ヨーロッパの天地に戦争がやむ暁には日本の社会状態もまたみずから変転するだろう。今日は将来を予言すべきときではない。

6月18日、町の辻々に汪兆銘(漢奸)の名を記した立て札を出し、電車の屋根にも旗を出している。汪氏の日本の政府から支給される俸給は一年5億円であるという。(汪は前年南京にカイライ政府を樹立し、この年6月訪日した。)

(町の噂として、芝口の米屋の息子が召集され中国に行き、ある医師の家庭に侵入した。医師を殺しその家の母子を強姦し井戸に放りこんだ。帰還して自分の母と嫁を預けておいた埼玉の某市に行くと、二人の様子がおかしい。ある日母は息子に、留守中強盗に襲われ強姦されたと告白する。息子はほどなく精神に異常をきたし戦地でしたことを人前で語りつづけるようになったので、憲兵屯所に引かれやがて市川の陸軍精神病院に送られた。市川の病院には三四万人の狂人が収容されているという。)

6月19日、銀座四丁目木村屋の前にはパンを買おうとするものが正午ころ2-300mほど列をなしていた。毎日このようだという。

6月20日、(大学新聞が郵便で寄稿を求めてきたので怒って)現代人の心理は到底うかがい知ることができない。わたしはこのような傲慢無礼な民族が武力をもって隣国に侵略することを痛嘆せずにはいられない。米国よ。すみやかに立ってこの狂暴な民族に改悛の機会を与えよ。

6月21日、下谷辺りのある菓子屋で主人が店の者に給金のほかに慰労金を与えたことが露見し、総動員法違反のかどで1000円の罰金を取られたという。使用人に賞金を与えて罰せられるとは不可思議の世の中である。

6月22日、号外売りがドイツロシア開戦を報じる。

6月23日、牛肉屋松喜の店先に牛肉品切れにつき鶏肉を代わりにすることを書き出していた。

6月24日、税務署の通知にわたしの前年の乙種所得金6000円とあった。これはすなわち原稿料のことであるから正午愛宕下の税務署に行く。(交渉の結果のちに減税される。)

6月27日、独露開戦以降あやしげな政治家の演説広告が街頭公園のいたるところに掲示される。

6月29日、芝口の牛店今朝で夕飯を食べる。牛肉は十日ほど前から品切れで鶏肉を代わりとする。客は鶏肉を好まず牛肉なしといえばみな立ち去るという。この日も客はわたし一人だけである。鶏肉を好まず豚肉を好むのは現代人の特徴であるようだ。