荷風マイナス・ゼロ (55)

浅草羽子板市

 

昭和13年(1938)

 

11月4日、「思い返せば浅草公園の興行物に興味を覚えそめしは、去年の十一月初にて、早くも満一年とはなれるなり。今年三月のころよりはほとんど毎日のようにオペラ館楽屋に往きある時は散歩の疲れを踊り子の部屋に休めしこともあり。夕飯はたいてい踊り子女優らとともに喫して時には麦酒の盃かわせしこともあり。されど今年の十月初ころよりこの芝居の芸風俳優らの趣味のかわり出せしことようやく目につくようになりて、楽屋への出入りも次第に興味薄くなり行けり。これも時勢の影響にしてやむことを得ざるしだいなるべし。」(演目に軍国調が目立ってきたのだろう。)

11月7日「オペラ館に立ち寄るにこの日表方にてあだ名金歯と云わるる暴漢と、楽屋頭取長澤の手下鵜澤というものと喧嘩をなし引きつづきて楽屋中もの騒がしくなれりと云う。・・オペラ館楽屋裏もいろいろの事情にてそろそろ逃避すべき時節とはなれり。」(浅草興行にやくざはつきもので古川ロッパも日記に「浅草はいやだな」とたびたび記し、サラリーマンの街有楽町に転出している。)

11月21日、「午後丸善書店の洋書を見る。売れ残りの古本のみにて新刊書籍は一冊もなし。」

11月26日、「今夜より明後日朝まで燈火管制の令あり。」

11月27日、「(燈火管制のなか)浅草を過ぎて玉の井に至り見れば四顧すでに暗黒なり。・・女どもの住める路地の中は鼻をつままれてもわからぬばかりに暗きが中に、彼方此方の窓より漏るる薄桃色の灯影に、女の顔ばかり浮かみ出したり。玉の井の光景この夜ほどわが心を動かしたることはなし。」

 

12月1日、「東京市役所より年末年始の虚礼を廃すべき由印刷物を市中各戸に配布す。」

12月3日、「午後今川橋ヴィクター蓄音機会社に至る。今秋菅原君に交付せし拙作歌詞冬の窓の作曲前半できたる由。この日会社の一室にてこれを聴く。歌は智子ピアノ菅原君。」

12月9日、「ミシュレの羅馬共和国史をよむ。」

12月11日、「薄暮玉の井を歩む。私服の刑事余を誰何し広小路の交番に引致す。交番の巡査二人とも余の顔を見知り居て挨拶をなし茶をすすむ。刑事唖然として言うところを知らず。また奇観なり。」

12月14日、「(浅草から)帰途巡査に誰何せらるること再度なり。」

12月17日、「俳優酒井来たり楽屋に出入りするギャングら新門とやら称する無頼漢の子分に頼み谷中生を襲撃せんとする企てをなせし由を告ぐ。

・・(浅草羽子板市の盛況を見て)この日の新聞に大蔵次官三越店内を視察し羽子板買うものの多きを見慨嘆して、この玩具にも戦時税を課すべしと云う談話筆記あるを思い合わせ、余は覚えず微笑を浮かべたり。現代の官吏軍人らの民心を察せず世の中を知らざることもまたはなはだしきなり。・・桜花は戦時といえど春来れば花さくものなるを知らずや。」

12月19日、「玉の井の知る家に憩う。秋田生の女あり。東京に来たりし経路を語れり。次の如し。饅頭屋の娘にて父死してのち母と妹二人あり。ある日隣の家の娘と公園にて遊びいたりし時一人の男来たりて話しかけたり。この男は玉の井四部の銘酒屋の主人なり。言葉たくみに東京行きを勧め隣家の娘は三年八百円にてつれ行かれたり。饅頭屋の娘もともに行きたしと言いしが、その男は承知せずただその住所と姓名とを紙片にかき与えたり。娘は秋田市内のある家に下女奉公に行きしが洗濯物の間違いより主人に疑われたるを無念に思い、普段着のまま荷物一つ持たず汽車に乗りて東京に来たり。紙片の番地を宛に玉の井を尋ねみずから進んで身を落とせしなりと云う。もとより真偽たしかならずただ聞くがままに記すのみ。」