これは帝政ロシアの画家ヴァスィーリー・ヴェレシュチャーギンの作品で、戦争礼賛と題されている。この風習はチンギス・ハンが大々的に始めて、ティムールからムガルのバーブルまで祖法として受け継がれた。一辺および高さ20の三角錐とすれば、1300以上の首級で作られている。素材は諸説あるが、基本的には画家の想像の産物だろう。
ヴェレシュチャーギンは戦争画家で、1868年のロシアによるコーカンド汗国征服従軍後に描かれた。悲惨な実態をそのまま描いたので、その絵はかならずしも政府に歓迎されなかった。なかでもこの作品は、帝政ロシアだけでなくヨーロッパでも展示を拒否された。ドイツではモルトケ将軍の猛反対にあったという。
致命傷
ヴェレシュチャーギンは、中央ユーラシアやインドに広く旅して記録を残している。
サマルカンドの大通り
サマルカンドの廟
タシュケントの祭装のダルウィーシュたち
タシュケントの女性
Ak-kent(白い町)の中国寺院遺跡
ブハラの兵士
ドタール(二弦琴)弾き
バッチャ・バーズィー(寵童)
アルタイ山脈の道
ディッリーの真珠モスク
ジャイプルの戦士
インド反乱の弾圧