ヴィジャヤナガルの玉蜀黍

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ヴィジャヤナガル王国誌の最初のほうに、「土地には大量の米と玉蜀黍、穀物、豆が育ち、ポルトガルでは栽培されることのない種類の作物もあり、また綿も限りなくみられる。」とある。

報告者はDomingo Paisで、1520-1522年のあいだ現地に滞在したと推定されている。また記録が本国に送られたのは、1537年らしい。

 

ここでまたトウモロコシが引っかかった。バーブル・ナーマで1505年にスィンド川周辺でトウモロコシが豊富だったとの記事が気になったのだが、それより15年後とはいえコロンブスがヨーロッパに持ち帰って30年くらいだ。

 

Maizeで見ると、コロンブス後に数十年してからスペインで栽培されたといわれる。梅毒は1512年に日本に伝わっているのだから伝播の速さをあまくみてはいけないが、やはり違和感がある。

 

Robert Sewellによる英訳A Forgotten Empire (Vijayanagar)

では The land has plenty of rice and Indian-corn, grains, beans, and other kind of crops which are not sown in our parts; also an infinity of cotton.となっている。

Indian-cornはトウモロコシのことで、アメリカ大陸をインドと誤解したコロンブスが持ち帰ったためこの英単語が残った。ここからすれば玉蜀黍でまちがいなさそうだが、反対に考えれば「インドの穀物」のポルトガル語milho IndianoをそのままIndian-cornと訳してしまったこともありうる。

ここから先は、原文にあたれないので何もいえることはない。突っこんだところで、Domingo Paisの滞在時期や偽書でないかなど問題は邪馬台国化する。

 

王国誌には首都ハンピはローマと同じくらいの規模だったとか、繁栄ぶりが描かれている。寺院の踊り子にも多く筆がおよび、宝飾物のゆたかさや王妃の前で唯一パーンを食することができたなど地位の高さが記されている。