梅毒とトウモロコシ

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ムガル初代バーブ

 

東洋文庫バーブル・ナーマpdf 文中に、1505年にヒンドゥスターン侵攻したさいスィンド川周辺の村の畑で「とうもろこしの実が豊富」だったとある。

トウモロコシのユーラシアへの伝播は、1492年コロンブスアメリカ到達以降のこととされている。それから10年後にインドにトウモロコシは来ていただろうか。

 

ネットで利用できるライデンの英訳版では、ただcornとのみ記されている。コーンは穀類一般をふくむ多義的な言葉だから、ここからはそれがとうもろこしだったかはわからない。東洋文庫訳者は原本のチャガタイ語やペルシア語翻訳を参照しているので、根拠があるかもしれないがそれにしても時期が早い。

 

バーブルはこの件でも見られるように観察と記憶の豊かな人物で、カーブル周辺の地誌植物誌は現代でもお手本とされている。日記をつけていたのかもしれないが、二十年以上も前の出来事を生き生きと興味深く描ける非凡な文人だった。

 

それは人物観察にもあらわれていて、ヒンドゥスターン略奪行から帰った時期のヘラート君主やその配下の長(ベグ)たちを描いた人物評も大量でおもしろい。

そのなかにホージャ何某というベグについて、多才だったが好色で「放蕩の報いで吹き出物の病(梅毒か)に侵され手足の自由を失い」死んだと書かれている。

梅毒についてはライデン版にはないので、日本語版訳者の推察だろう。

冒頭にリンクしたバーブル・ナーマの研究pdfは1984年発表のもので、東洋文庫版(2014)とは異同がある。pdf版では天然痘で死んだとなっている。

 

梅毒はコロンブス起源説の再検証がされているところらしいが、アメリカ大陸への侵略以降ヨーロッパで大流行したことは変わりない。アメリカには天然痘がもちこまれ、こちらは人口激減と文明の滅亡をもたらした。

梅毒は1512年には日本に伝わっているので、ヘラートのベグが冒されたとしても無理はない。

 

ここらへんの記述(平凡社版第二巻)は、細部の興味が尽きない。当時カーブルはヒンドゥスターン、中国、ルーム(トルコ)の交易中継地で富んでいた。

カーブルの農業はひとつの種子に四・五倍の収量があり、亜大陸や中国にはかなわないが同時期のヨーロッパよりましだった。現在の貧しい山国の印象とは違っている。

強盗のアフガーン人(パシュトゥーン)を切り刻んだなどとむごいことを書いているが、現地住民にとってはバーブルこそ強盗に思えただろう。

 

ガズニーの村の墓所で祈ると墓が動く奇跡が評判をとっていた。バーブルは実地に見て寺男のしわざと考え、動きを封じたところはたして墓は微動もしなかった。これは半七捕物帖に出てくる事件とおなじで、名探偵の素養があったことがうかがえる。