リョーリフのアルタイ

リョーリフの旅程。上半分の積雪部分がアルタイ。寄り道の行き止まりがベルーカ山。

 

春の祭典の原案者デザイナーであるニコライ・リョーリフは、後年神智学に傾倒し1925年から29年にかけてアジア探検の旅に出た。目的の第一は世界の中心と考えたアルタイ山脈中にあるという、Zvenigorodと名付けた神聖都市の発見だった。

そのためアルタイ山脈最高峰ベルーカ山Berkhaのふもとに拠点を置いて、探索をつづけた。ベルーカはアブラール氏のたどったチュイスキー国道アクタシュの西南に位置する。

リョーリフはその後、インドのクル故国で生涯を送った。

 

 

 

リョーリフはこの旅で得た印象をもとに、いくつかアルタイの絵を描いている。ただヴェレシュチャーギンが従軍画家として戦闘と悲惨を写実的に報道しようとしたのとちがって、リョーリフは宗教的アイデアから生まれた心象を視覚化している。

 

 

 

アルタイの山々。

 

 

 

ベルーカ山の地下に存在すると考えた、Zvenigorodをさがして洞窟を下りる人々。

 

 

 

アルタイ人がチンギス・ハンの最後の末裔と考えたオイロト・ハーンが、白馬に乗って救世主として再臨する想像図。

 

 

 

アルタイの草原を急ぐ死神。

 

 

 

ベルーカ山ふもとの川辺にあるリョーリフの石像。

 

 

 

リョーリフがデザインした春の祭典の衣装と舞台。かつて黒海近辺マイコープ文化の発掘に従事していた。衣装はロシア帝室が所持していた資料にもとづいている。