宝の小箱 (3)

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一葉は冬は唐桟を着ていた。輸入物のサントメのほかに、関東なら川越や青梅で国産品が作られた。

明治政権は産業革命と交通革命を移植し、人の往来が飛躍的に増えた。副産物としての文明病が結核だった。

この時代の文人は、盛んに交流した。一葉もみずからサロンの主となり、斎藤緑雨上田敏島崎藤村さらに「文学界」の若い同人たちが一葉宅に足しげく通った。接触は感染をもたらす。一葉も20世紀をむかえる少し前、当代第一級の作品を生み出しながら24才で結核にたおれた。

抗生物質で病を封じこめられるようになったのは、1950年代のことだ。