さかなのこは予告編だとよい人しか出てこないみたいで、ちょっと痛いかなと思っていた。神は見返りを求めるのように、いやな人間ばかり2時間見せられるのもつらいが。
異世界転生して善人だけの世に飛ばされたら、いったいどうしたらいいのかわからない。
しかしさかなのこは、2時間19分が気もちよく過ごせた。短時間なら、よい人たちの世の中を生きられそうだ。
これは自伝映画ではない。最初、本人がハコフグ帽子をかぶって自身を演じる。同じ魚好きとして子供時代の能年と心を通じさせるが、変質者と思われてパトカーで連れ去られてしまう。そんな伝記はないだろう。
このとき、脱がそうとした帽子は光を発する。それを拾って能年が引き継ぐところから物語がはじまる。
といっても大した出来事はない。ヤンキーたちと漁港で衝突して友人となり、幼なじみと再会する。魚好きを生かした仕事をしたいと思っても、うまくはいかない。むしろ周囲が話を進めていく。
子連れになった幼なじみが転がりこんで同棲する。子供をよろこばせたくて、飼育していた魚を売って高価なクレヨンを買う。この時は、能年は男以外のなにものでもない。女は魚より自分たちを選ぶのを察して去ってしまう。
幼なじみの柳楽優弥、夏帆がうまい。顧客の豊原功補やヤンキーたちの喜劇演技もよい。ことに岡山天音の「まちがえて釘を踏んじゃった」みたいな、周星馳的表情がおかしい。母親の井川遥は、能年によく似ていることに気づいた。父権そのものの父は、ペットにしようとしたタコを殺して食べるとうまいことを教える。
飼っていた金魚を父親に食べられて、魚が食えなくなった知人のことを思い出した。
もうひとり重要なお隣さんがいる。能年の顔なじみで、いつも理容院の店先でタバコを吸っている。これはパトリス・ルコントの髪結いの亭主を思い出させる。理髪師と結婚したいという、子供時代からの夢をかなえる男の話だ。
やがて能年は仲間に助けられて、魚好きとして生きていける道をみつける。
魚は原始キリスト教時代には、イエスやキリスト教をあらわす弾圧よけの隠れシンボルだった。語呂合わせとも、パンと魚をふやした奇跡から来ているともいわれている。
最初に信者になったペテロは漁師で12使徒には4人の漁師がいるから、この宗教の発生と漁業はなにか関係があったのだろう。
4人のヤンキーは4人の漁師たちか。夏帆は、近年はイエスとの結婚説もあるマグダラのマリアかもしれない。
しかしこの作品は、宗教とは逆だ。能年の性格は魚好きというだけで、他にはなにもない。魚を広めようとするわけではないし、まわりもひとりをのぞいて魚を好きになることもない。能年を認めつづける母親も、ほんとは魚が苦手だという。みな世界の片隅にいる能年のことを、ただ許容しているだけだ。