ライダー故郷に帰る

まぼろしマクラーン海岸 帰国後のパーキスターン紀行から

 

前回記事のつづきでパーキスターン編となるが、upされたのは実際の旅の1年近く後になってからだ。この間にライダーの運命は大きく変わっている。

 

Police Protection and Ride Through Balochistan EP. 51

国境を越えたものの、バローチスターン州内では終始護衛付きの走行となった。up主のパスポートはドイツ発行で、外国人として入境しなければならなかった。ところがバローチスターンは分離運動のさかんなところで、勢力は国をまたいでイランにもおよぶ。2020年だけでもパーキスターンでは500人以上の犠牲者が出ていた。

 

したがって自国内でも軽度の要監視者あつかいだったので、心躍る旅とはならなかった。それでもサルワール・カミーズ、デコトラ、人の多さはまさしくパーキスターンの映像だ。

 

 

GERMANY TO PAKISTAN ON MOTORCYCLE LAST EP. 52 | Arriving Home in Nankana Sahib

故郷のパンジャーブ州ナンカーナ・サーヒブはスィク教祖グル・ナーナクの生地だが、分離独立に際して教徒はインド側に渡ってしまっている。up主の本名はアブラール・ハッサンAbrar Hassanで、ラマダーンにはちゃんと断食をする。

 

この巻も半分まではまだバローチスターンだが、クエッタを過ぎてようやく護衛から解放された。しかし山間部でドローンを飛ばして撮影していると、村民たちがプライヴァシーを侵害されたと集まってきた。映像を見せて景色しか撮っていないと説明して、ようやく事態はおさまった。

実は国境越えの困難のひとつにドローンがあって、通関にさいして映像チェックをしなければならず時間がかかったのだった。ことにイランの核施設があると噂される地域も通過していたので、なおさらだったのだろう。

 

そうしてパンジャーブ州に入ると、思わぬ歓迎が待っていた。途中で網友の村で歓待され、ゴールのナンカーナ・サーヒブでは横断幕に「パーキスターンの誇り」と書かれ町の人々が小旗をもって出迎えた。いちやく人気者になったのだった。

 

up主はもともと登山好き自転車好きで、Vlogのはじまりはフィンランドの冬山行だった。さらにヨーロッパをバイク旅行して記録を残したのだが、そのころは数万視聴くらいだった。

それがこの欧州からパーキスターンへのツアーを通じて、数十万単位に増えた。ことに各越境の回では百万を突破している。

こちらには面白くもなんともない画なので別枠紹介したが、国境越えの実際こそが肝だと思うのはアジアの同じバイク乗りたちだろう。移民や留学でなく、自分もバイクで国を越えた旅をしたいと願う層が相当数いるのではないか。

 

里帰りの直前に居住地のマインツで、視聴者の質問に答える回がある。その時は登録者数は5万で収益など問題外だった。旅の後の現在は、120万にはねあがっている。

それによるとup主はイスラーマーバードで航空宇宙工学を専攻したが、卒業しても職がないのでドイツに再度留学して機械工学を学んだ。当地の自動車会社に就職して(たぶんBMW)5年経ち妻子もいる。そこにパンデミックがはじまり、封鎖となる前に家族はパーキスターンに帰した。その後を追って旅をはじめたことになるが、当初は中央アジアも回って10ケ月かけて帰郷するつもりだった。しかしコロナでつぎつぎ国境は閉ざされ、今回のルートとなった。

一時帰国か引き上げの腹づもりだったかはわからないが、帰ってみると地元でもネットでも有名人となり旅行Vloggerとしてやっていけるめどが立ったのだろう。

 

 

それからの軌跡はWildLens by Abrarでたどれる。プレイリストを見るとパーキスターン各地、中東に足を運んでいる。さらに現在、ドゥバイからコチに渡りインド行をはじめたところだ。なんとケーララのバックウォーターにたたずむ姿を見ることができる。最新映像は、コチ東部のMunnarの茶畑を走る姿だ。

 

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コチ上陸は3月のことで、映像upは少し遅れていまケーララの巻だがすでにムンバイ、ディッリーにまでたどりついている。素直に北上してきたのだろう。

おどろいたことにインドでもアブラール・バーイーは人気で、ディッリーではたくさんのバイク乗りが一目でも見ようと歓迎集会をもった。ハリヤーナー州のTV局はニュースにした。スマホをかざしてバーイーを撮った網友たちは、それをyoutubeに流してミームが生まれている。

南アジアバイカーたちの夢を体現した存在というだけでなく、その人柄、ことに宗教や異文化に寛容で謙虚な姿勢が支持されているのではないか。