體育皇后

體育皇后(1934)全編無声映画字幕付 ビリビリ版

 

物語

体育皇后は黎莉莉19才の主演映画で、田舎から汽船で上海にやってきた莉莉は煙突の上から登場する。どんどん昇ると太腿もスカートの奥も丸見えだが、おかまいなしだ。田舎では毎日木登りしていたという。

この伝統的身体表現から逸脱した莉莉はスポーツの天才で、女子体育学校に入学して短距離走の記録をつぎつぎ更新する。学校では起床時のベッドの上での体操、下着姿で洗面歯磨きとアジアではそれまでなかったような映像がくりひろげられる。シャワーシーンまである。訓練や競技のさいは短褲だ。

 

授業で若い教師は「民族自強の原動力は健全な身体」でそれを作るのが体育であり、けして小英雄を生み出すためにあるのではないと説く。しかし学校長は宣伝のために競技会での勝利をもとめる。

あいつぐ勝利に浮かれた莉莉は足球選手の誘いにのってパーティーにでかけ落花狼藉の危難にあうが、心配して待っていた教師の助けでこれを乗り切る。教師も莉莉の汗をふいたハンカチを大事にもっている男で、かならずしも教育的配慮からの行動だったわけではなかった。

 

心をいれかえた莉莉はさらに精進していたところ、遠東運動大会という大きな競技会が開かれることとなった。満州国の創立は1932年で、東北三省はその版図に組み入れられていた。その選手たちも参加する、全中国的な大会だった。

予選はなんなく勝ち抜くが、同じ体育学校のライヴァル選手は体の不調を知りながら参加し競技とちゅうで倒れてしまう。その死を看取った莉莉は、決勝を棄権する決意を固める。

 

結末は記さないが、教師は再度「貴族的な、競技会での勝利のためのスポーツは新時代ではすべて放棄しなければならない。体育の真精神はただ奮闘と前進あるのみ。」と語る。

これはいまでも新しく、また一部は古くなったメッセージだ。1930年代の国威宣揚のためのスポーツ観は、ここでは民族自強と植民地支配の打破に向きをかえているが他者のためにするスポーツであることは同じだ。

現在の先進資本主義国では、スポーツは個人の楽しみでありその権利実現を国は援助するのが建前になっている。

 

またこの映画が1928年オリンピックでアジア選手ではじめてメダルを取り、以後も病を押して出場し3年後に早世した人見絹枝が下敷きになっていることもあきらかだ。

人見は、1922年に日本初の女子体育学校である二階堂体操塾を開いた二階堂トクヨの生徒であり、のちに指導員ともなった。塾は日本女子体育大学となり、大島由加利や土屋太鳳を輩出している。

二階堂は競技としての体育には否定的であったが、それは国力強化や良妻賢母の育成をめざしていたからでもあった。

 

体育皇后では実際の競技会の映像も用いられ、このころの中国女子体育のありさまを知ることができる。霍元甲が上海精武體操會を創設したのが1909年で、中国体育は四半世紀後にめざましい成長をとげていた。

 

 

黎莉莉は、全編はつらつとした運動選手姿を見せている。子供のころから歌舞団に加入し、舞踊で体を鍛えていた下地があったからだった。

話をさかのぼれば、莉莉の両親は映画会社を興して主演する芸能一家で莉莉も子役として出演していた。同時に共産党の地下党員で生活が安定せず、七小福のように子供を歌舞団に預けたのだった。

父親の銭壮飛は国民党に潜入した秘密工作員で、1931年の共産党弾圧の情報をいちはやくつかんで周恩来ら幹部を救った功績があり長征中の35年に戦死している。