raara priya sundaraa (Bhaktha Prahlada 1967 テルグ)
神様映画。L.ヴィジャヤラクシュミL.Vijayalakshmiのダンスに、はずれはない。どんな場面でも軽快で小気味よい踊りで楽しませてくれる。その代わり決定的ナンバーもないのだが、Vijiの愛称で60年代テルグ映画のヒロイン、アイテム・クイーンとして親しまれた。
jaya gana nayaka(Narthanasala 1963 同)
マハーバーラタ中のアルジュナの物語を映画化したもの。最高のアプサラであるウルワシー(パドミニ・プリヤダルシニ)の誘惑を拒んだアルジュナ(NTR)は、呪いをかけられヒジュラーにされてしまう。マツヤ王国に放浪の身を寄せ、王女のウッタラーにダンスを教える。小柄なL.ヴィジャヤラクシュミと並ぶとNTRが巨人に見える。 kalalitha (同)
jaya vani (Mahamantri Timmarusu 1962 同)
NTR演ずる16世紀ヴィジャヤナガラ王国のクリシュナデーヴァラーヤ王Krishnadevarayaの妃となるヴィジ。後半スネークダンスが混じる。
vanita tanantata tane (Paramanandayya Sishyula Katha 1966 同)
ジャヤマーリニのGuru Shisharuの原作。カンナダ版は音楽も演出もテルグ版を踏襲している。L.ヴィジャヤラクシュミはジャヤマーリニと同じ役柄だ。マンジュラの役はK. R. Vijayaで、テルグ映画は踊れる女優が多い。神様映画や時代劇が盛んだったためだが、反バラモンのドラヴィダ運動が映画界をリードしたタミルナードゥでは、シヴァージ・ガネーサンのように神様映画に出演すると非難を浴びた。おかげで共演したパドミニのダンスを今も見ることができるが。
kamini madana rara (同)
Gundamma Katha(1962 同)
クラシックとフォークダンスを二場続けて演じる。客席にジャムナJamunaとANRがいる。
ne raanantina oo mavaya (Srikakula Andhra Mahavishnuvu Katha 1962 同)
テランガーナの始祖とされる伝説の王様Andhra Vishnu(wiki)の物語。口笛はヤンキーだ。
siva dheekshaa (Pooja Phalam 1964 同)
o madhana manasaayera (同)
テルグ版デーヴァダースだったANRとの共演。
ninu chera manasayera (Bobbili Yuddham 1964 同)
1757年のボッビリの戦いを描いた歴史劇。ヴィジャヤナガラムVijayanagaramの領主は、ボッビリとの戦争でフランスの支援を受けた。
Orimi Gonuma(不明)
時代劇。
idi chigurakullo(不明)
綱渡りするヴィジ。
Bommai(1964 タミル)
稽古場面。L.ヴィジャヤラクシュミ主演のサスペンス・スリラー。ヒッチコックの「サボタージュ」の翻案だというのだが。タミルやマラヤーラム映画にも多数出演している。
azhagiya rathiye (Kaakkum Karangal 1965 同)
一部コマ落しを使っているようで反則とはいえ、奇優ナーゲーシュNageshとの人形ぶりの踊りが楽しい。
azhagan muruganidam (Panchavarna Kili 1965 同)
冒頭の文字はஓオーとமムを合成した、ॐに相当するタミル文字のオーム。子供はムルガン。
<おまけ>
senghkaiyil vannndu kalin (Kuravanji 1960 タミル)
MinaiMinai blog に示唆されたのだが、これはパドミニ・プリヤダルシニとヴィジの貴重な共演のひとコマだ。最後のほうで顔がはっきり映る。
aaja chaye kare badra (Lajwanti 1958 ヒンディー)
ついでに発見したパドミニ・プリヤダルシニのダンスをもうひとつ。相手はスクマーリで、やはりラーギニによく似ている。映画はナルギース主演でカンヌ・パルムドールにノミネートされた。
パドミニ・プリヤダルシニと並ぶ40年代生まれの名手であるL.ヴィジャヤラクシュミは、テルグ中心に100本以上の映画に出演している。ケーララ生まれでタミルに移り、マハーラーシュトラのプネーで育った。6才の時、ヴァイジャンティマーラー、ラリタ、パドミニの公演を見て踊り始めた。才能を見込まれマドラスに引っ越して、カマラーやヴァイジャンティら名だたるダンサーの師であるVazhuvoor Ramaiah Pillaiにレッスンを受けた。裕福な家庭ではなかったのでアランゲートラムの衣装は一着しか用意できなかったが、カマラーが祝福にかけつけてくれた。(wiki)
映画初出演は1952年で、59年テルグ映画界入り。69年結婚引退後はフィリピン、U.Sに移住し、公認会計士の資格を取ってヴァージニア工科大で予算担当を勤めた。
記事 From Natya to numbers (The Hindu) February 05, 2015