紀元1世紀のエリュトゥラー海案内記にMuziris(Muchiri)とある貿易港は、今日のKodungallurと推定されている。コチの北で、さらにマラバール海岸を北上すればコーリコードにいたる。地図にEzhimalaiと記されたあたりがケーララの境となる。このころはチェーラの支配下にあった。
チェーラ時代はタミル語とマラヤーラム語がまだ分岐していないころで、マドゥライを炎上壊滅させたカンナギは後にマラバール海岸のKodungallurに至ったといわれる。
Muziris
Muzirisの副港として栄えたのがTyndisでMuzirisの北に位置し、ケーララ数学派の拠点となったTirurのあるTanur国あたりが候補のひとつとなっている。12世紀にチェーラが解体して独立したといわれる。
ケーララの南北は日本でいえば関東から関西、東の常陸国から西の磯人国くらいの距離に相当する。そこに興起した大名がコーリコードやコチでターヌールは小名といえるが、古代の国際貿易史では大きな意味をもっていた。
ターヌールのTirurで14世紀以降にマーダヴァの弟子たちが学塾を開いたのが学派のはじまりだが、それ以前からも学問の伝統はあったと考えられている。
ターヌールはコーリコードとコチにはさまれて翻弄されてきた。
さらに16世紀にはインド洋の覇権がポルトガルからオランダに転じていった。それぞれを利用しようとしてきたコーリコードとコチの勢力争いは、同盟してオランダに対抗する流れにかわっていった。そのなかでターヌールは消滅し、ケーララ学派も失われていくことになる。